洞雲寺文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
I0052
資料群名
洞雲寺文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡清滝村,大野町清滝,大野市清滝
資料の年代
1477年(文明9)~1879年(明治12)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
清滝村は大野盆地の西部、赤根川が貫流し、「元禄郷帳」では大野町枝郷、「天保郷帳」では大野町の一部とされている。はじめ福井藩領で、1624年から(寛永1)大野藩領となった。「元禄郷帳」での石高は47石余。
洞雲寺は曹洞宗寺院で、開山は薩摩国日置(へき)郡市来(いちき)村金鐘寺4世元勅である。1454年(享徳3)能登総持寺に転住、翌55年に大野郡羽丹生(はにゅう)荘縫原に一宇を建立した。開基は斯波氏の家臣二宮左近将監であるとされる。
文明年中(1469-87)亀山山麓に移り、3世超岩青倫のとき野口村に、更に1527年(大永7)以前に現在地に移った。中世末には末寺として小林寺・崇聖寺・西方寺・洪泉寺などがあったが、現在は洪泉寺以外は廃寺となっている。
資料群の概要
当寺の中世文書は朝倉氏の寺領安堵状・禁制・地子免許状、当寺ならびに末寺の寺領目録などで、朝倉氏の大野郡支配を解明する上で貴重な資料である。これらによれば、大野郡が1475年(文明7)以降朝倉孝景(英林)によって支配されると、その弟光玖が大野郡司となった。光玖死後は孝景(宗淳)の弟右衛門大夫景高にかわり、景高没落後は朝倉宗家の直接支配となった。
近世文書は大部分が借用証文や祠堂金寄進状であるが、大野藩主の地子諸役免許状や西方寺村の年貢免状などもある。
近代文書は過去帳1点のみである。
否撮カードはない。
利用条件
 
県史収載
資料編7 P.319-336 39点、通史編2 P.473・P.738・P.782・P.898・P.968・P.990・P.993、通史編3 P.25・P.54・P.175・P.185・P.227・P.641・P.674、通史編4 P.208・P.750
県史以外の収載
『越前若狭古文書選』 『大野市史』
複製本番号
I0345~I0347
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。