五畿屋文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
I0028
資料群名
五畿屋文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡木本領家村,上庄村木本,大野市木本
資料の年代
1597年(慶長2)~1924年(大正13)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
木本領家村は、大野盆地南端の清滝川の扇状地の扇頂に位置する。村高は、太閤検地で540石余、その後1687年(貞享4)の検地で94石余の新田高が打ち出され、あわせて635石余となる。さらに、1706年(宝永3)からの検地において本高514石余、新田高128石余のあわせて643石余となる。はじめ福井藩領、1624年(寛永1)木本藩領、35年幕府領福井藩預所、37年福井藩領、86年(貞享3)幕府領、1720年(享保5)鯖江藩領、1862年(文久2)幕府領となる。福井藩初期には重臣加藤康寛がこの地に5000石を与えられ、木本藩時代には藩主の居館があった。
五畿屋(五器屋)は、寛永年間に福井城下松本町からこの地に移住したと伝えられ、はじめ弥右衛門、のちに弥三右衛門を称し、1704年(宝永3)には当村に280石余を所持していた。鯖江藩領時代には、木本領家組大庄屋を務め、杉本の姓や帯刀が免許されており、1860年(万延1)には二人扶持が与えられた。幕末の水戸浪士通行において、一行が当家に立ち寄った際、武田耕雲斎から贈られた日本地図が当家に残されている。なお、この日本地図をはじめ木本領家村絵図や山論絵図が撮影されている(絵図・地図写真目録)。
明治に入り、当家は1873年(明治6)の一揆において襲撃された。
資料群の概要
約1400点を調査し、うち約1200点を撮影した。
近世資料は、(1)土地関係、(2)売券・質物証文類、(3)法令、(4)年貢関係、(5)用水出入関係、(6)山論関係、(7)鯖江藩献金関係、(8)絵図類、(9)家関係に分けられる。
(1)には太閤検地帳写をはじめとして、新田検地関係資料がある。(4)の年貢関係の通いや免状から、福井藩時代とその後の幕府領時代の年貢の変遷をうかがうことができる。
(5)には木本領家村・木本地頭村・阿難祖村の三か村組合用水の分水口(字岩崎)をめぐる出入りや、これら三か村組合用水からの森山村用水引水をめぐる出入り(江戸公訴)などがある。このほか、木本領家・地頭村との間では、組合用水江筋中にかかる土橋の取り払いと、これに関連する地頭村小作人の揚田などをめぐり江戸公訴にまでなった出入りがある。
(6)には笹俣山の永請山をめぐるもの、木本村参剥山をめぐるもの、木本領家村飛び地をめぐり山組16か村との出入り、志目木谷組15か村と木本地頭村との参剥山出入りなどがある。
(9)には、由緒書のほかに家来食物覚など生活を知るうえで興味深いものがある。
明治期以降の資料には、小作米関係がある。
否撮資料は、絵図類、火事見舞帳や祝儀・法事関係、明治期以降の上庄村事務報告や大野郡歳入歳出決算書や当家の土地関係資料・大福帳などである。
利用条件
 
県史収載
資料編7 P.127-154 23点、通史編3 P.115・P.137・P.177・P.315・P.316・P.329・P.330・P.778・P.780、通史編4 P.195・P.196・P.198
県史以外の収載
『大野市史』
複製本番号
I0157~I0204、I1557
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。