松村利章家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
I0013
資料群名
松村利章家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡六呂師村,阪谷村南六呂師,大野市南六呂師
資料の年代
1583年(天正11)~1953年(昭和28)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
六呂師村は九頭竜川右岸、六呂師高原の南に位置し、中央を宿谷川が貫流する。はじめ福井藩領で、1624年(寛永1)勝山藩領、44年(正保1)幕府領福井藩預かり地、86年(貞享3)幕府領、91年(元禄4)再び勝山藩領となった。村高は「正保郷帳」「元禄郷帳」ではともに395石余、93年(元禄6)頃からの新田開発により「天保郷帳」では631石余となった。勝山藩(小笠原氏)領地の年貢率は4つ2分、1822年(文政5)の家数130、人数555。
松村家は代々庄屋等の村役人を務めており、当主の曾祖父・郡右衛門は帯刀御免、父・利一は阪谷村・五か村組合長のほか郡会議員・県会議員を歴任した。
資料群の概要
当家は中世から第二次世界大戦後まで幅広く文書を有する。
中世文書は1583年(天正11)の六呂師四方搦と98年(慶長3)の太閤検地帳、村四方搦、山境に関する文書である。四方搦は近世後期の山論で何回か証拠として用いられている。
近世文書は(1)山論、(2)水論、(3)村方騒動、(4)私文書、等に分けられる。
(1)は当村が所有する上野谷の田草刈りをめぐって近隣の村と争論になったもので、1749年(寛延2)に江戸出訴となった松丸・不動堂村との争論(砂田弘太家文書参照)をはじめ、大矢谷・平泉寺・大月・石谷などの各村を相手とした争論が多数見られる。なお、これらに関しては丸山与助家文書も参照されたい。
(2)は1862-63年(文久2-3)、伏石・松丸・石谷・御領の各村との争いをめぐるものである。
(3)は川欠・砂入等の検分帳のほか、1845年(弘化2)の「笹検分田歩帳」「笹稲反分帳」などがある。笹稲とは天候不順により笹竹のようになった(穂が出ない)稲のことをさすと思われる。また、関連して藩からは渇命願を頻繁に出すことを禁止する達もある。
(4)は売券・借用・質入れ証文など、帯刀御免に際しての礼金覚などである。これによれば松村家は1838年(天保9)に本人一代、64年(文久4)に永代の免許を得ていることがわかる。
近代文書は大正から昭和初期を中心に村・郡会の議案、郡・大野町・阪谷村等の青年会誌、1922-44年(大正11-昭和19)にわたる六呂師が原演習場関係綴り(陸軍演習場となった)等の他、租税関係を中心に多数の統計資料がある。
否撮カードはない。
利用条件
 
県史収載
資料編7 P.418-432 16点、通史編3 P.278・P.313・P.323
県史以外の収載
『大野市史』
複製本番号
I0067~I0084、I0483~I505
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。