寶慶寺文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
I0012
資料群名
寶慶寺文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡宝慶寺村,上庄村宝慶寺,大野市宝慶寺
資料の年代
1248年(宝治2)~1929年(昭和4)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
宝慶寺村は清滝川上流に位置する。最初福井藩領、1624年(寛永1)木本藩領、35年(寛永12)幕府領福井藩預り地、37年(寛永14)福井藩領、86年(貞享3)以降は幕府領。「正保郷帳」による村高は236石余と、別に宝慶寺領が50石。
寶慶寺は曹洞宗日本第二道場で、山号は薦福山と号する。開山は宋の高僧寂円で、永平寺二世懐弉に師事し、1261年(弘長1)当地に入った。伊自良知円等が帰依して78年(弘安1)に当寺を創建し、99年(正安1)に寺敷地を寄進して北条時頼の菩提を弔った。寺領は1504年(永正1)の目録によれば小山荘中心に178石余、69年(永禄12)の目録では217石余となっている。天正年間の兵乱で寺が焼失、寺領も没収となった後、75年(天正3)に織田信長から寺領100石が寄進され、1618年(慶長18)、改めて松平忠直から寺領50石の寄進をうけた。
当寺には県指定文化財の絹本着色道元禅師画像、絹本着色雲居和尚画像、絹本着色伝如浄禅師画像、絹本着色釈迦三尊像、道元遺墨などが伝来する。
資料群の概要
当寺の文書は中世文書10点、近代文書9点で、大半が近世文書である。
中世文書は当寺の寺領の変化や、荘園の名体制から近世村落の成立の過程を知る上で貴重である。
近世文書は(1)寺領の寄進・安堵状、(2)本山永平寺監院からの書状、(3)寺格に関する免許状、(4)祠堂金関係、(5)山論、(6)その他、に大別される。
(1)は松平忠直寄進状の他、光通・昌親・綱昌らの寄進状・安堵状がある。
(2)は本山の葬儀や当寺の遠忌に関する連絡などが中心である。
(5)は1738年(元文3)、当寺と宝慶寺村が森政地頭村など12か村を相手に幕府寺社奉行に訴えたもので、天正年間に没収された宝慶寺境内地のうち、志目幾谷を近隣の村が入会地としたことを不服としたものであるが、40年(元文5)、12か村に加え猪島・医王寺・北御門・下之郷の4か村も含めた16か村と寺・宝慶寺村の入会とする裁許が出されている。
(6)には1708年(宝永5)の検地帳写や寺領の皆済目録綴、過去帳などがある。
近代文書は永平寺あての教部省からの文書綴(綸旨の写なども含む)、西南戦争での死者供養のための鐘鋳喜捨帳、大蔵経寄付者の名列、棟札写などである。
否撮文書は14点、すべて明治以降のもので、開基寂円の遠忌、寺の出納、本山からの達綴、寺の図面、戦後の梵鐘寄附に関するものなどである。
利用条件
 
県史収載
資料編7 P.388-409 16点、通史編2 P.120・P267・P.284 ・P.285・P.585・P.667・P.774・P.898・P.953・P.988・P.992-993・P.995・P.998、通史編3 P.11-12・P.177・P.655、『図説福井県史』
県史以外の収載
『大野市史』『大野市古文書目録』
複製本番号
I0066、I1140~I1150
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。