西野次郎兵衛家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
H0055
資料群名
西野次郎兵衛家文書
地域(近世,行政村,現在)
南条郡今泉浦,河野村今泉,南越前町今泉(河野村)
資料の年代
1465年(寛正5)~1898年(明治31)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
今泉浦は府中より通じる西街道の終着点に位置し、東は山地を背負い、海岸に沿って北に甲楽城浦、南に河野浦がある。中世における府中と敦賀との間の交通は、人は木ノ芽峠を越えて往来していたが、荷物の多くは府中から河野・今泉を経て舟で敦賀に至るという経路をたどっていた。そのため府中にも河野・今泉にも、そしてその沿道の八田(河野村)、別所、中山、湯谷、勾当原(武生市)などにも、多くの馬借が居住していて物資輸送に携わっていた。
江戸時代に入って当浦は福井藩領となり、村高は正保郷帳では70石余であった。この時期、当浦の海運業はいっそうの発展をみせた。1717年(享保2)の村明細では、船数12で、うち北国船4、弁才船1、羽風船1、てんと船6であった。また当浦は宿駅として伝馬5匹を定められ、河野浦と共に西街道の拠点となっていた。口銭役所が置かれ、各地から河野・今泉の両浦に出入りする荷物を改め、口銭を徴収した。
当家文書からは、すでに中世末(天文期)から当浦の住人として「次郎兵衛」の名がみえ、江戸時代では早くから庄屋を務めた。
当家の中世文書の多くは、12本の巻子に仕立てられており、長帳を合冊した「古帳簿」とともに、1903年(明治36)8月に西野友吉氏が整理したものと考えられる(H-0358、H-0366)。
資料群の概要
当家文書は1465年(寛正6)以降の中世文書74点を含み、(1)山内馬借関係、(2)刀祢中屋氏関係、(3)近世村(浦)方文書、(4)海運関係、(5)その他などからなっている。
西街道に沿った山間部集落は中世では「山内」と総称され、(1)では、馬借中の定書、河野・今泉両浦と山内馬借中の塩や榑(くれ)の輸送・販売に対する権益を保障した朝倉氏関係の文書、またこれに伴って朝倉氏が西街道の道・橋の普請を指示したものなどが見られる。
(2)中屋氏は敦賀に向かう船をも管理していたようで、河野・今泉両浦の船は、警備用などへの徴発が免除され、また九頭竜川の高木に架ける船橋の船公事用船についても免除されていた。
中屋氏の土地関係文書では、地境定書、舟寄山作職証文などがあり、家に関連しては、相続に関する置文、刀祢名坪付、安堵状、売券などが見られる。1514年(永正11)の「中屋常慶置文」は、戦国期に農民層のなかで家が成立していたことが推定される資料である。
中屋氏に関する馬借文書は、全国的にみても群を抜いてすぐれている。
近世文書でも馬借・宿駅や海運など交通関係のものが中心をなすが、中期以降は馬借文書は減少する。(3)では、定書やその請証文などに特色がある。1632年(寛永9)の「五人組連判状」は、福井藩における五人組制度の成立を村方文書で確認できる早い事例である。「人改ニ付惣百姓請証文」「伝馬駄賃馬等定書」などからは、寛文期の福井藩の法令整備の一端が知られる。
(4)ではてんと船仲間・船頭仲間の定書類、(5)これ以外では1684年(貞享1)の寄鯨、96年(元禄9)の琵琶湖・敦賀間の運河計画「深坂堀隧之御内見」、1768年(明和5)の「打こわし一件記録」などがある。
否撮カードはなし。
利用条件
 
県史収載
資料編6 P.871-925 99点、通史編2 P.534・P.576・P.582・P.782・P.808・P.816・P.818・P.820・P.827・P.829・P.831・P.859・P.944・P.959、通史編3 P.48・P.145・P.293・P.294・P.312・P.313・P.442、通史編4 P.264・P.418・P.523・P.553
県史以外の収載
「南条郡古文書目録」 『河野村誌』 『河野村古文書目録』、脇田晴子「敦賀湾の廻運について」(『日本海海運史の研究』)、刀禰勇太郎「河野・今泉の廻運について」(同)、水藤真「越前海岸の一小港今泉浦の中世末」(『一乗谷史学』別冊5)、佐々木銀弥「戦国時代における塩の流通」(『日本塩業体系』原始・古代・中世)、小泉義博「中世越前国における北陸道」(『日本海地域史研究』3)、同「両浦・山内の馬借」(『武高評論』13)
複製本番号
H0358~H0367
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。