山内治郎左衛門家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
H0050
資料群名
山内治郎左衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
南条郡湯尾村,湯尾村湯尾,南越前町湯尾(今庄町)
資料の年代
1685年(貞享2)~1982年(昭和57)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
湯尾村は日野川と田倉川の合流域に位置する。江戸時代を通じて福井藩領で、「正保郷帳」によれば村高は田1302石余、畑209石余、合計1511石余。駅馬20匹を有する宿場で、北陸街道に沿って町並みを形成した。宿の中央を湯尾川が流れ、川をはさんで上湯尾村と下湯尾村に分かれた。
山内治郎左衛門家は古くから問屋業を営み、村役人を務めた。また、昭和初期には湯尾村長を務めた。
資料群の概要
近世後期を中心に約100点が撮影され、(1)村方関係、(2)宿駅関係、(3)巡見、(4)家文書、(5)その他に大別される。
(1)では年貢割付・高寄帳など貢租に関するものや、安政年間(1854-60)の軍用人足・牛馬の書上げがある。
(2)では宿駅に関する諸規定・争論などがある。「商荷物川船運送規程」(県史収載)では、川船に商荷物を積載すれば問屋・馬借の支障となり、宿場の衰微をもたらすとして、米・雑穀以外の舟廻しを禁止する規程が見られる。また、1830(天保1)の「船積宿場規程」では、福井大橋・白鬼女・金津への舟上げは商荷物でもよいが、それ以外の河岸場では村用の荷物のみが認められ、川下げの品については前述の3箇所でも村用の荷物のみ認められる、とする規定が見られる。
1847年(弘化4)の「能州輪島騒動」では、鋳物師村の者が川下の村国村の寺院宛に膳や椀などの商品を送ってもらい、到着の知らせを聞いて村へ運ぼうとしたところ、それが府中問屋に知れて商品を差し押さえられ、問屋などを訴えたものである。訴人側は「自分荷物」であるから、どう運ぼうと勝手であると主張したが、内済証文ではこれらは「商荷物」であり、送り主の商人(実際は鋳物師に住むその娘婿)が詫証文を出すことを命じられている。
(3)は巡見使に対してのもてなしや、予想される質問に対する回答集である。
(4)は売券類が中心、(5)では「過去帳」があり、代々の当主の法号や命日のみならず村内の山口武兵衛家、山口武助家、山内七右衛門家等との姻戚関係、1732年(享保17)に高126石を持つ高頭であったことなどが記されている。
否撮カードは約60枚で、江戸時代のものは田畑おろし帳、借用証文、村送り証文などが多い。また、明治期のものは貸借差引帳、郵便局設置、駅・旅籠関係など。
利用条件
閲覧できない資料あり。
県史収載
資料編6 P.812-820 6点、通史編3 P.601・607、通史編4 P.580
県史以外の収載
 
複製本番号
H0334~H0341
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。