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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
H0041
資料群名
中野貞雄家文書
地域(近世,行政村,現在)
南条郡大良浦,河野村大良,南越前町大良(河野村)
資料の年代
1536年(天文5)~1874年(明治7)
資料目録件数
40
組織歴および履歴
大良浦は尼御前山の南につながる標高200メートルほどの海岸段丘上にある。海岸にそって北西は河野浦、南は大谷浦に隣接する。古くは「池之大良浦」と称し、江戸時代を通して福井藩領で、石高は43石余。
当家所蔵の1536年(天文5)「朝倉氏府中奉行人青木景康判物」の宛所に「池之大良なかの兵衛所」とある「なかの兵衛」は、当家の祖先と思われ、大良浦の有力者であった。
当家所蔵の1536年(天文5)「朝倉氏府中奉行人青木景康判物」の宛所に「池之大良なかの兵衛所」とある「なかの兵衛」は、当家の祖先と思われ、大良浦の有力者であった。
資料群の概要
撮影文書は、(1)資料編掲載の中世文書4点、(2)村(浦)方文書、(3)家文書からなる。
(1)1583年(天正11)の秀吉禁制以外は、争論関係文書である。36年(天文5)の大良浦の農民間の争論からは、結果として有力農民である番頭側の人夫徴発とみられる「日追公事」の日数が制限され、下層農民の成長がうかがわれる。また、河野浦との間では、尼御前山の所有権と作職をめぐる争論が海境争論まで発展した。元来、当地方の浦や村間の争論裁決は府中奉行所の管轄であったが、この争論では府中奉行所の裁決を不服とする大良側の訴えによって一乗谷朝倉氏の裁定に持ち越された。ここでも有力者である「参人百姓」とは別に名子が新儀に大網を立てたことが争論の原因となっていた。マイクロ撮影は関係文書2点のみで、のこり2点は、河野村教育委員会所蔵の文書コピーから掲載したものである。
(2)村方文書は、河内村との田地争論や府中までの往来差留をめぐる白崎村との争論など争論関係、溜め池開削・開田関係の願書類、1790年(寛政2)「楮子株御用改帳」、1874年(明治7)「毎戸番号職業渡世取調」などが含まれる。
(3)由緒書、売券などである。
否撮カードは約50点で、役場諸入費記簿、租税上納金予算取立帳、布令書など、ほとんどが明治中期までの近代資料である。
(1)1583年(天正11)の秀吉禁制以外は、争論関係文書である。36年(天文5)の大良浦の農民間の争論からは、結果として有力農民である番頭側の人夫徴発とみられる「日追公事」の日数が制限され、下層農民の成長がうかがわれる。また、河野浦との間では、尼御前山の所有権と作職をめぐる争論が海境争論まで発展した。元来、当地方の浦や村間の争論裁決は府中奉行所の管轄であったが、この争論では府中奉行所の裁決を不服とする大良側の訴えによって一乗谷朝倉氏の裁定に持ち越された。ここでも有力者である「参人百姓」とは別に名子が新儀に大網を立てたことが争論の原因となっていた。マイクロ撮影は関係文書2点のみで、のこり2点は、河野村教育委員会所蔵の文書コピーから掲載したものである。
(2)村方文書は、河内村との田地争論や府中までの往来差留をめぐる白崎村との争論など争論関係、溜め池開削・開田関係の願書類、1790年(寛政2)「楮子株御用改帳」、1874年(明治7)「毎戸番号職業渡世取調」などが含まれる。
(3)由緒書、売券などである。
否撮カードは約50点で、役場諸入費記簿、租税上納金予算取立帳、布令書など、ほとんどが明治中期までの近代資料である。
県史収載
資料編6 P.851-854 6点、通史編2 P.587・P.785、通史編3 P.42、通史編4 P.364
県史以外の収載
『南条郡古文書目録』、『河野村誌』、野尻泰弘「近世初期における境目争論と「天平元年」の古文書」(『駿台史學』158 2016年)、『越前市史 資料編3 中世1』、松園潤一朗「中世における年紀法の機能と変容」(『一橋法学』18 2019年)
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
H0283
関連資料一覧
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