島﨑文四郎家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
H0036
資料群名
島﨑文四郎家文書
地域(近世,行政村,現在)
南条郡今庄村,今庄村,南越前町今庄(今庄町)
資料の年代
1501年(文亀1)~1941年(昭和16)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
今庄村は日野川左岸の藤倉山麓に位置する。古くから北陸街道の要地として知られ、中世には関所が置かれ、南に燧城が築かれた。1575年(天正3)ころ、当地方を支配していた赤座氏がここに居館を構え、江戸時代には宿場町として栄えた。福井藩領で、566石余。
島崎家は戦国時代に大工職を得、近世には棟梁大工として重きをなした。大工職は中世の座の流れを引くと思われ、大工・木挽など建築関係の職人を統率する権限を持った。
なかでも棟梁大工は、細工場所と呼ばれる支配管内で優先的に建築工事を請負い、無届で仕事をする職人を取締り、職人に課せられた水役銀を徴収して一括納入していた。しかし、18世紀にはいると、管外からの職人が流入し、管内職人の水役銀直上納が認められて、棟梁大工の権限は大きく揺らいでいった。
当家は、近代にはいっても家業を継続しているが、関連資料の有無は不明である。昭和戦時期の軍事援護活動や婦人会・青年団等の写真を多数所蔵されている。
資料群の概要
当家の資料群では、1501年(文亀1)以降、近世末までの(1)大工職関連の資料が過半をしめる。これ以外には、結城秀康の重臣山川氏が下総国結城にあった頃の文書3点(資料編5 森嶋新左衛門家文書参照)、赤座氏および同氏夫人が開基となった願満寺の由緒・系図等、(2)宿駅関連、(3)その他が含まれる。
(1)1501年と1510年(永正7)の大工職安堵状写、大工職譲状は、今庄地頭方大工職が当家初代と伝える三郎次郎に移った経過を示している。その後、三郎次郎家との関係は不明であるが、三郎四郎の時に、今庄地頭方、同領家方、上庄の三方において大工営業が認められていた。
1725年(享保10)「今庄大工共不調法ニ付詫証文」でみるように、18世紀になると支配下の大工が棟梁大工の指図に従わない事件が起こり、その独占的な権限に動揺がみられてくる。翌年には、今庄郷を当家の支配管内として再確認する「今庄郷大工水役免許状」が出されたが、この後も大門村(丸岡領)など他領の大工の進出や無届で普請を請負う者があり、願書や詫状が多く残されている。
大工職にかかる水役銀を棟梁大工が集め、一括納入する権限も、1798年(寛永10)には直接上納することが認められたため、職人が疎遠になり職法の遵守が難しくなったことが訴えられているが、従来どおりの一括納入に戻すことは、職人間の反発も大きく実現しなかった。支配管内である作事場所は、1801年(享和1)には「湯尾村ヨリ上今庄郷」となっており、大門村の大工集団の台頭によって、32年(天保3)には、管内のうち宇津尾村・広野村・大桐村など遠隔地5村の家修繕・農具修繕などの小規模普請が大門村の下大工に免許されている。
この他、支配下の大工が指し出した証文類、大工奉公にあたっての一札、福井の大工庄屋・藩作事所役人との間の書状、職式目、間取図などが含まれる。また(天保5-明治7)「年代録見聞記」は、反故紙を利用しているため判読しにくいが、棟梁職の覚書とともに、幕末維新期の地震・大水・火事などの災害、物価、風聞などが記されていて興味深い。
(2)宿駅関係は宿廻状写のほかは、おもに明治初年の規則類、1885年(明治18)「駅伝営業人名記」などである。(3)には、当家との関係は不明であるが、天和期の豆腐座売渡証文、昭和戦時期のパンフレット類で「隣組読本戦費と国債」、「防空隣保班活動指針」(福井県警防課)などが含まれる。
否撮カードは、60点ほどで、棟札16点、図面12点、「俳句作付合等覚」、借用証文、書状などである
利用条件
 
県史収載
資料編6 P.785-796 20点、通史編2 P.792、『図説福井県史』
県史以外の収載
『南条郡古文書目録』『福井県古文書所在調査報告書』『今庄町古文書目録』
複製本番号
H0251~H0256
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。