向山治郎右衛門家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
H0029
資料群名
向山治郎右衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
南条郡大谷浦,河野村大谷,南条郡河野村大谷(河野村)
資料の年代
1512年(永正9)~1874年(明治7)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
大谷浦は、1598年(慶長3)には大谷吉継が支配し、江戸時代に入って福井藩領となった。村高は72石余で、家数は、1852年(嘉永5)で61軒(高持31、雑家30)であった(宮川五郎右衛門家文書)。
向山家は宮川五郎右衛門家とともに庄屋等を務めた。 同家文書は、1982年の県史調査以前に一部が女子美術大学の所蔵となっており、その後99年にこの女子美所蔵分は、河野村の所蔵となった。
資料群の概要
当家所蔵分と女子美術大学の所蔵となっていた分をあわせた資料群は、(1)土地、(2)貢租、(3)村政、(4)争論、(5)漁業・運輸交通・災害、など村(浦)方全般にわたっており、とりわけ近世初期を中心とした土地・貢租・山論に特色がある。
(1)土地に関しては、1598年(慶長3)の太閤検地帳と村切によって生じた直百姓の山林使用をめぐる河内村の永代証文がある。
(2)貢租では、年貢皆済状が1586年(天正14)から97年(慶長2)まで6点あり、それ以降も比較的揃っていて、領主が交代する近世前期の貢租の実態と変化を具体的にうかがうことができる。
また同時期には(4)隣村の菅谷村、比田浦(敦賀市)、河内村などとの山論が度々起こったようで、1619年(元和5)、28年(寛永5)の比田浦との争論についてまとまった資料が残されている。28年の争論の解決には敦賀の有力商人兼代官の打它宗貞がかかわったこと、また比田浦が24年(寛永1)に福井藩領から小浜藩京極氏領に代わったため、解決が困難であったことなどがうかがえる(中山正彌家文書、古川巌家文書)。ほかに磯見猟をめぐる敦賀漁師町との争論や春日野道の橋普請費用割あてに反対する願書などがある。
(3)村政では、1799年(寛政11)以降文政期にかけて、庄屋役の交代を求めた村方騒動がたびたび起こっている。これ以外では(5)大網仕込銀拝借願とその役銀等の延期願、95年(寛政7)三国湊沖口法度条々、漆・楮子・桐実などの売渡証文、大波・雪崩などの災害に関連した願書類などが含まれる。
(6)私家文書としては、多くは売券、借用証文類であり、事情は不明だが、敦賀の商人塩屋彦兵衛が宮川五郎右衛門にあてた借用証文も含まれる。
否撮カードはないが、近現代資料の有無は不明。
利用条件
 
県史収載
資料編6 P.952-976 44点、通史編3 P.289・P.438、通史編4 P.362・P.514・P.519・P.520
県史以外の収載
『河野村誌』
複製本番号
H0182~H0184
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。