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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
G0512
資料群名
粟生寺文書
地域(近世,行政村,現在)
今立郡粟田部村,粟田部村,越前市粟田部町(今立町)
資料の年代
1848年(嘉永1)~1884年(明治17)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
粟田部村は行司ケ岳(通称三里山)の東南麓に立地する在郷町で、江戸時代を通じ福井藩領であった。村高は1,633石余、1789年(寛政1)の戸口は373戸、1,458人の大村で、町場を形成して21か町からなっていた。今立郡の山間部と府中・鯖江両町などとの結節点にあたり、物資の集散地として商業活動が活発であった。
当寺は、天台真盛宗。寺伝によれば天平年中(729-749)泰澄の開創、その後長く衰亡していたが、延徳年中(1488-92)近江坂本西教寺の真盛の弟子真一が再興したという。また1622年(元和8)には松平忠直が当寺の什物であった天下無双の絵賛を召上げた代りに寺領10石を寄進したという。
当寺は、天台真盛宗。寺伝によれば天平年中(729-749)泰澄の開創、その後長く衰亡していたが、延徳年中(1488-92)近江坂本西教寺の真盛の弟子真一が再興したという。また1622年(元和8)には松平忠直が当寺の什物であった天下無双の絵賛を召上げた代りに寺領10石を寄進したという。
資料群の概要
撮影資料は明治期の本山寺務所からの書類や教導職の辞令などの綴り、および寺院明細の綴りなど5点。粟生寺文書として資料編に掲載されている1533年(天文22)の朝倉家臣小泉長利による田畠寄進状(写)など中世文書2点は松平氏歴代の寺領安堵状などとともに当寺の檀中惣代を務めた木津群平家に伝来している。
なお、複製本(G0457)に木津群平家文書としてある「由緒什物類書扣」は「今立町誌文書目録」により当寺文書に訂正した。
否撮カードはない。
なお、複製本(G0457)に木津群平家文書としてある「由緒什物類書扣」は「今立町誌文書目録」により当寺文書に訂正した。
否撮カードはない。
県史収載
資料編6 P.527-528 2点
県史以外の収載
『今立町誌』『粟生寺展』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
G0455、G0457
関連資料一覧
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