加藤河内家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
G0508
資料群名
加藤河内家文書
地域(近世,行政村,現在)
今立郡新在家村,岡本村新在家,越前市新在家町(今立町)
資料の年代
1633年(寛永10)~1871年(明治4)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
新在家村は、鞍谷川中流域に位置する。五箇と呼ばれた大滝・岩本・不老・定友の村々と共に、紙漉が盛んであり、その伝統は現在に引き継がれている。村高は218石余、江戸時代を通じて福井藩領である。1838年(天保9)の五箇の漉屋数は、大滝村59、岩本村2、不老23、新在家村16、定友村22の合わせて122軒である。年貢率は岩本村の7つ5歩を頂点に、大滝村6つ7歩、新在家村・定友村ともに6つ1歩、不老村5つ2歩5厘と高かった。なお、新在家村の家数は46軒、人数は194人であった。
当家は、由緒によると結城秀康入国の折に紙を献上しており、その後福井藩などの御用紙を納め、「御紙屋」と称するとともに紙会所の見取役を務めた。1643年(寛永20)または54年(承応3)に、受領名河内を得たようである。1821年(文政4)に苗字を、45年(弘化2)に帯刀を許された。70年(明治3)、受領名の廃止にともない賀門を名乗り、五箇村奉書紙会社が創設されると総代となる。
資料群の概要
当家文書は、18世紀中ころから明治初年までの紙漉・販売に関するものが中心で、一紙文書の多くは巻子に仕立てられている。紙関係以外には、巡見使関係、不老村の好善寺関係、借用証文・売券類などがある。
紙関係資料には、(1)河内家関係、(2)福井藩御用紙・札紙関係、(3)幕府御用紙や諸大名家・寺社御用紙関係、(4)紙草高騰等にともなう代銀増願・手当拝借願類、(5)太政官札漉立関係などに分けられる。
(1)の河内家は、大滝村の三田村家をはじめとする「御紙屋」5人のひとりであり、受領名を与えられ、紙漉業の中心的な役割を果たした。しかし、当家は1792年(寛政4)に欠落するなどしている。その後、1820年(文政3)・52年(嘉永5)の福井藩主巡覧の折には御小休所をつとめ、紙漉を披露しており、この頃には紙屋の中心となっている。
(2)の福井藩御用紙・札紙については、資料編掲載の古い藩札の処分と漉替に関するもののほか、1738年(元文3)以降1871年(明治4)までの御用留3冊や、01年(享和1)から48年(嘉永1)までの覚帳・日鑑3冊からその内容を知ることができる。これらの用留類からは、(3)についての内容も知ることができる。おもなものに、07年(文化4)の朝鮮国王返翰紙間似合大鳥子紙の漉立、江戸城本丸炎上にともなう44年(弘化1)から翌45年にかけての福井藩による白鳥子紙30万枚の漉立などがあげられる。さらに、紀州藩や尾張藩からの御用紙・札紙の注文、京都粟田御所清蓮院御用紙の注文についても知ることができる。一紙文書からも、丸岡藩札・大野藩札の漉立や、西尾藩・永平寺・気比神社などからの御用紙依頼について知ることができる。
(4)の諸願についても、一紙類や用留類から知ることができる。用留類からは、このほか新在家村の年貢率の変遷や村関係の諸動きもわかる。(5)については、1868年(慶応4)3月から70年(明治3)10月までの漉立に関する用留があり、詳しく知ることができる。太政官札漉立のために福井藩総会所が準備した楮・雁皮は、漉立終了後五箇へ払い下げられ、これらの紙草は五箇村奉書紙会社で漉立が行われたが、その経営は困難であったようである(『今立町誌』)。
利用条件
 
県史収載
資料編6 P.522-523 2点、通史編3 P.252・P.254、通史編4 P.356・P.361・P.553
県史以外の収載
『今立町誌』
複製本番号
G0380~G0400
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。