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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
G0024
資料群名
飯田広助家文書
地域(近世,行政村,現在)
今立郡東俣村,上池田村東俣,池田町東俣
資料の年代
1525年(大永5)~1956年(昭和31)
資料目録件数
8771
組織歴および履歴
東俣村は魚見川支流東俣川流域に位置し、池田郷(中世には池田荘角間郷)内215石余の山村である。はじめ福井藩府中本多家の知行地、1686年(貞享3)幕府領、92年(元禄5)土岐頼殷領、1712年(正徳2)幕府領、20年(享保5)鯖江藩領となった。
飯田家は同家家譜によれば、その祖が応永(1394-1428)頃、鞍谷御所足利嗣俊に扈従して越前に下り東俣村に居住し、ついで女に朝倉氏一族から婿を取り、名跡をつがせたと伝える。近世には太閤検地で除地とされた屋敷地1反4畝20歩と72石余(1787年)の田畠を所持し、多くの山林を支配した。代々村役人を務め、1828年(文政11)以降鯖江藩の大庄屋となり、その後、74年(明治7)副戸長を務めた。
また、飯田広助(1877-1927)は、1907年(明治40)-18年(大正7)まで上池田村長を務めた。飯田広助については『池田町史』第2章第5節14池田の功労者の項目を参照されたい。
2004年4月、福井県文書館に寄託(1,677点)。その後、2005年6月に1,928点、2006年5月に1,896点、2010年4月に1,481点、2016年9月に1,533点それぞれ追加寄託。
飯田家は同家家譜によれば、その祖が応永(1394-1428)頃、鞍谷御所足利嗣俊に扈従して越前に下り東俣村に居住し、ついで女に朝倉氏一族から婿を取り、名跡をつがせたと伝える。近世には太閤検地で除地とされた屋敷地1反4畝20歩と72石余(1787年)の田畠を所持し、多くの山林を支配した。代々村役人を務め、1828年(文政11)以降鯖江藩の大庄屋となり、その後、74年(明治7)副戸長を務めた。
また、飯田広助(1877-1927)は、1907年(明治40)-18年(大正7)まで上池田村長を務めた。飯田広助については『池田町史』第2章第5節14池田の功労者の項目を参照されたい。
2004年4月、福井県文書館に寄託(1,677点)。その後、2005年6月に1,928点、2006年5月に1,896点、2010年4月に1,481点、2016年9月に1,533点それぞれ追加寄託。
資料群の概要
当家資料群には、1525年(大永5)以降、近世・近代にわたって大量の文書が伝存しており、(1)中世文書、(2)東俣村の村方文書、(3)鯖江藩大庄屋文書、(4)戸長役場文書、(5)各時代にわたる飯田家の私家文書に大別される。
(1)中世文書は6点あり、東俣宗満名四分三名代職の譲状では、本来契約によって任命される名代職が親から子へと譲られており、世襲的な権利となっていたことがわかる。また、裏を封じた花押は斯波義廉の子孫鞍谷氏と考えられる。宗光名惣領分田地等目録写と年貢請取状写3点からは、名主の代官である名代の機能がわかる。1598年(慶長3)の太閤検地の際に、東俣村彦太郎兵衛の屋敷地が除地とされた際の安堵状も含まれる。
(2)東俣村の村方文書としては、点数は多くないが太閤検地帳、元禄から享保期にかけての年貢割付状31点、五人組帳(1787年)などが含まれる。
近世資料のなかで大部を占めるのは(3)鯖江藩の大庄屋文書である。大半は1828年(文政11)から安政期(1854-60)まで、飯田彦治兵衛が大庄屋であった東俣組の文書であるが、一部直前の藪田組(飯田喜右衛門)のものも含み、巡見使に関連して水海組の先例を筆写したものもある(00284には、1828年4月に藪田組大庄屋から引き渡しを受けた書類が書き上げられている)。
この時期には藩主間部詮勝が幕府の要職についたため藩財政は極度に窮迫し、その打開のために新たな借財と専売制に取り組んだ時期の資料が多く含まれる。1839年(天保10)から52年(嘉永5)東俣組の年貢割付控、願書類の控えを中心とする御用留、藩内産物の江戸運送、売捌に関する文書、藩才覚金の借用書・請取書、争論や用水関係、川欠普請願などが含まれる。
(4)戸長役場関係では、1872年(明治5)から74年にかけての布令、地租改正関係帳簿類、「諸達留」など明治10年代の東俣村戸長役場の簿冊の一部が含まれる。
(5)私家文書では、家系譜、名字・帯刀免許状、普請願以外では、「諸議式覚帳」など覚帳が特徴的である。この記録は、天保期(1830-44年)に書かれたものであり、当家に労働提供する農民の区分として、「出入」「家頼」「譜代」「譜代家持」「水呑地借」などがあり、節季の行事・農作業ごとに提供されるべき仕事と人数、その際に饗与する食事が克明に記述されている。
また農業・山林経営の記録としては、1902年(明治35)から丹念な「農事日誌」が書き継がれており、47年(昭和22)まで28冊が残されている。08年(明治41)には朝鮮忠清南道で「飯田農場」の経営にのりだしており、土地台帳、「飯田農場会議報告」がある。
福井県文書館開館後に寄託された資料は、たいへん大部であり現在も調査・整理を継続している。とくに2005年6月に追加受入れした箪笥に入れられていたもの(引き出し11個分、03099-04995)には、前述の中世文書原本を含み、ほとんどがこれまでの調査で確認できなかった資料である。
このうち閲覧利用できるものは約8,000点にのぼり、(1)では中世文書(00001-001・002・003)の原本、(2)では1713年(正徳3)の村鑑、21年(享保6)の下帳、29年(享保14)、88・89年(天明8・9)および90・94年(寛政2・6)の五人組帳、1686年(貞享3)から享保期にかけての年貢割付状・皆済目録、(3)では大庄屋文書を中心に諸入用銀割符帳、天保飢饉時の飢人御救願帳、講関係帳簿、御用日記・道中日記など、願書・請書類、庄屋・大庄屋間、藩役所・大庄屋間の覚・通類は1,000点をはるかに超えている。
(5)では「諸議式覚帳」と同様な記録でより古い1773年(安永2)のものがある。売渡証文類は慶長期から江戸時代前半の比較的古い時代のものが多く含まれている。あわせて、植民地下の朝鮮における農場経営資料として、1912年(明治45)以降44年(昭和19)までの膨大な来信綴、便箋複写簿、損益計算表、貸借対照表、金銭出納帳、飯田農場月報、渡世日記など230点が含まれる。ほかに新聞95点、布令類220点がある。
未整理資料は、現在文書箱27箱である。
(1)中世文書は6点あり、東俣宗満名四分三名代職の譲状では、本来契約によって任命される名代職が親から子へと譲られており、世襲的な権利となっていたことがわかる。また、裏を封じた花押は斯波義廉の子孫鞍谷氏と考えられる。宗光名惣領分田地等目録写と年貢請取状写3点からは、名主の代官である名代の機能がわかる。1598年(慶長3)の太閤検地の際に、東俣村彦太郎兵衛の屋敷地が除地とされた際の安堵状も含まれる。
(2)東俣村の村方文書としては、点数は多くないが太閤検地帳、元禄から享保期にかけての年貢割付状31点、五人組帳(1787年)などが含まれる。
近世資料のなかで大部を占めるのは(3)鯖江藩の大庄屋文書である。大半は1828年(文政11)から安政期(1854-60)まで、飯田彦治兵衛が大庄屋であった東俣組の文書であるが、一部直前の藪田組(飯田喜右衛門)のものも含み、巡見使に関連して水海組の先例を筆写したものもある(00284には、1828年4月に藪田組大庄屋から引き渡しを受けた書類が書き上げられている)。
この時期には藩主間部詮勝が幕府の要職についたため藩財政は極度に窮迫し、その打開のために新たな借財と専売制に取り組んだ時期の資料が多く含まれる。1839年(天保10)から52年(嘉永5)東俣組の年貢割付控、願書類の控えを中心とする御用留、藩内産物の江戸運送、売捌に関する文書、藩才覚金の借用書・請取書、争論や用水関係、川欠普請願などが含まれる。
(4)戸長役場関係では、1872年(明治5)から74年にかけての布令、地租改正関係帳簿類、「諸達留」など明治10年代の東俣村戸長役場の簿冊の一部が含まれる。
(5)私家文書では、家系譜、名字・帯刀免許状、普請願以外では、「諸議式覚帳」など覚帳が特徴的である。この記録は、天保期(1830-44年)に書かれたものであり、当家に労働提供する農民の区分として、「出入」「家頼」「譜代」「譜代家持」「水呑地借」などがあり、節季の行事・農作業ごとに提供されるべき仕事と人数、その際に饗与する食事が克明に記述されている。
また農業・山林経営の記録としては、1902年(明治35)から丹念な「農事日誌」が書き継がれており、47年(昭和22)まで28冊が残されている。08年(明治41)には朝鮮忠清南道で「飯田農場」の経営にのりだしており、土地台帳、「飯田農場会議報告」がある。
福井県文書館開館後に寄託された資料は、たいへん大部であり現在も調査・整理を継続している。とくに2005年6月に追加受入れした箪笥に入れられていたもの(引き出し11個分、03099-04995)には、前述の中世文書原本を含み、ほとんどがこれまでの調査で確認できなかった資料である。
このうち閲覧利用できるものは約8,000点にのぼり、(1)では中世文書(00001-001・002・003)の原本、(2)では1713年(正徳3)の村鑑、21年(享保6)の下帳、29年(享保14)、88・89年(天明8・9)および90・94年(寛政2・6)の五人組帳、1686年(貞享3)から享保期にかけての年貢割付状・皆済目録、(3)では大庄屋文書を中心に諸入用銀割符帳、天保飢饉時の飢人御救願帳、講関係帳簿、御用日記・道中日記など、願書・請書類、庄屋・大庄屋間、藩役所・大庄屋間の覚・通類は1,000点をはるかに超えている。
(5)では「諸議式覚帳」と同様な記録でより古い1773年(安永2)のものがある。売渡証文類は慶長期から江戸時代前半の比較的古い時代のものが多く含まれている。あわせて、植民地下の朝鮮における農場経営資料として、1912年(明治45)以降44年(昭和19)までの膨大な来信綴、便箋複写簿、損益計算表、貸借対照表、金銭出納帳、飯田農場月報、渡世日記など230点が含まれる。ほかに新聞95点、布令類220点がある。
未整理資料は、現在文書箱27箱である。
県史収載
『福井県史 資料編6 中・近世四』P.567-618 18点、『福井県史 通史編2 中世』P.669、『福井県史 通史編3 近世一』P.295・P.306・P.307・P.388・P.407・P.779、『福井県史 通史編4 近世二』P.90・P.400・P.711、『福井県史 通史編5 近現代一』P.488
県史以外の収載
『上池田村誌』、『池田町史』、『飯田廣助小伝』、『越前市史 資料編3 中世1』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
劣化等保存上の理由から、原本は閲覧できません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
閲覧できない資料あり。
複製本番号
G0245~G0290、G0602~G0625、G1009~G1010、G1019~G1022、G1028~G1031、G1036~1434、G1581~G1631、G1634~G1661、G1664~G1702
関連資料一覧
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