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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
G0017
資料群名
蓑輪又兵衛家文書
地域(近世,行政村,現在)
今立郡八石村,岡本村八石,越前市八石町(今立町)
資料の年代
1584年(天正12)~1939年(昭和14)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
八石村は月尾谷の中ほどに位置し、江戸時代は、はじめ福井藩領、1686年(貞享3)幕府直轄領、92年(元禄5)土岐頼殷領、1712年(正徳2)再び直轄領、20年(享保5)鯖江藩領となった。石高は100石余。
当家は慶長3年の検地帳に名がみえ、享保期以降庄屋や長百姓を務めた。
当家は慶長3年の検地帳に名がみえ、享保期以降庄屋や長百姓を務めた。
資料群の概要
当家資料は(1)1584年(天正12)「羽柴秀吉朱印状」、(2)土地関係、(3)年貢割付状、(4)その他の近世資料、(5)近代資料からなっている。
(1)秀吉朱印状は羽柴秀吉が信濃国木曾の武将木曾義昌に宛てたもので、織田信雄・徳川家康と対立し、同年4月に小牧・長久手の戦で秀吉側が敗北した後に、反撃に移ろうとした時期の書状である。この文書が当家に伝わった経緯は明らかでない。
(2)1598年(慶長3)の検地帳、1672年(寛文12)の水帳、1779年(安永8)「今立郡八石村内検見御案内帳」などがある。
(3)は1686年(貞享3)以降幕末までの約180年間にわたる年貢割付状(一部、皆済目録)が10年ほどを除いてほぼ揃っている。
(4)その他では1776年(安永5)に雑木・村諸雑用について取り決めた村締一札、1841年(天保12)の長五村との用水争論の済口証文などがある。
(5)近代資料は明治10年代以降の八石区有文書の一部が残されており、役場諸達綴、1907年(明治40)の村社八幡神社整理関係、今立郡・岡本村農会関係などが含まれる。
否撮資料は170点あまりで、宝永期以降の物成金受取通など長帳類が約150点と借用証文などである。
(1)秀吉朱印状は羽柴秀吉が信濃国木曾の武将木曾義昌に宛てたもので、織田信雄・徳川家康と対立し、同年4月に小牧・長久手の戦で秀吉側が敗北した後に、反撃に移ろうとした時期の書状である。この文書が当家に伝わった経緯は明らかでない。
(2)1598年(慶長3)の検地帳、1672年(寛文12)の水帳、1779年(安永8)「今立郡八石村内検見御案内帳」などがある。
(3)は1686年(貞享3)以降幕末までの約180年間にわたる年貢割付状(一部、皆済目録)が10年ほどを除いてほぼ揃っている。
(4)その他では1776年(安永5)に雑木・村諸雑用について取り決めた村締一札、1841年(天保12)の長五村との用水争論の済口証文などがある。
(5)近代資料は明治10年代以降の八石区有文書の一部が残されており、役場諸達綴、1907年(明治40)の村社八幡神社整理関係、今立郡・岡本村農会関係などが含まれる。
否撮資料は170点あまりで、宝永期以降の物成金受取通など長帳類が約150点と借用証文などである。
県史収載
資料編6 P.557 1点
県史以外の収載
『今立町史料目録』、長谷川裕子「江戸時代初期の越前に現れた「領」-結城秀康・松平忠直の領国支配機構-」(『福井大学教育地域科学部紀要』4 2014年)
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
G0019、G0161~G0166、G0239~G0244
関連資料一覧
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