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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
G0011
資料群名
田中作右衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
今立郡大本村,下池田村大本,池田町大本
資料の年代
1638年(寛永15)~1872年(明治5)
資料目録件数
97
組織歴および履歴
大本村は部子山北方の谷あいに位置し、はじめ福井藩領、1686年(貞享3)幕府領、92年(元禄5)土岐頼殷領、1708年(宝永5)以降再び幕府領となる。村高は正保郷帳によれば44石、元禄郷帳では44石余、さらに天保郷帳では73石余と増加した。これは新田によるものである。1842年(天保13)の家数41、人数228人である。なお、尾緩新田は、本村から10町ほど離れており、4軒の家があり、庄屋がおかれたが、御用向は本村が行っていた。
田中家は庄屋など村役人を務めた。
田中家は庄屋など村役人を務めた。
資料群の概要
約140点を調査し、うち約100点を撮影した。
当家資料は(1)木地師関係、(2)新田村関係、(3)土地・年貢関係、(4)村入用帳・明細帳、宗門・人別帳、(5)用水普請関係、(6)本保役所廻状類、などである。(1)(2)を除くと、近世後期の冊子・長帳類で占められる。
(1)からは1638年(寛永15)にはすでに木地師が大本村所持山で木地挽稼を行ったり、大本村からのおろし畑を耕作していたことが知られる。また、その頃から新開田畑も徐々に増加していったようで、1678年(延宝6)には籠掛・稗田・西青・東青・蒲沢の5か村が新田村として大本村から分村した。また、大本村の村高の増加分は、村明細によれば、大本新田(11石余)と尾緩新田(17石余)のあわせて28石余である。5か村の新田村の独立とその後の大本村との間の山論、さらに大本村内の尾緩新田と本村の対立などが(2)に関するものである。
(4)は高反別帳、砂入帳・荒地起返帳、年貢割付小前帳などである。(6)の廻状は1806年(文化6)と30年(天保1)から44年(弘化1)にかけてのものである。
明治期の資料は年貢小前帳と地券渡覚帳である。
否撮資料は田・畠・山の質入証文である。
当家資料は(1)木地師関係、(2)新田村関係、(3)土地・年貢関係、(4)村入用帳・明細帳、宗門・人別帳、(5)用水普請関係、(6)本保役所廻状類、などである。(1)(2)を除くと、近世後期の冊子・長帳類で占められる。
(1)からは1638年(寛永15)にはすでに木地師が大本村所持山で木地挽稼を行ったり、大本村からのおろし畑を耕作していたことが知られる。また、その頃から新開田畑も徐々に増加していったようで、1678年(延宝6)には籠掛・稗田・西青・東青・蒲沢の5か村が新田村として大本村から分村した。また、大本村の村高の増加分は、村明細によれば、大本新田(11石余)と尾緩新田(17石余)のあわせて28石余である。5か村の新田村の独立とその後の大本村との間の山論、さらに大本村内の尾緩新田と本村の対立などが(2)に関するものである。
(4)は高反別帳、砂入帳・荒地起返帳、年貢割付小前帳などである。(6)の廻状は1806年(文化6)と30年(天保1)から44年(弘化1)にかけてのものである。
明治期の資料は年貢小前帳と地券渡覚帳である。
否撮資料は田・畠・山の質入証文である。
県史収載
資料編6 P.667-672 7点、通史編3 P.394、通史編4 P.150・P.383・P.385-386
県史以外の収載
『池田町史』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
G0063~G0067
関連資料一覧
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