上島孝治家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
G0008
資料群名
上島孝治家文書
地域(近世,行政村,現在)
今立郡月ケ瀬村,上池田村月ケ瀬,池田町月ケ瀬
資料の年代
1387年(嘉慶1)~1919年(大正8)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
月ケ瀬村は、足羽川上流の山あいの村で、村高179石余。はじめ福井藩領、その後幕府領を経て1692年(元禄5)土岐頼殷領、1712年(正徳2)再び幕府領、20年(享保5)以降鯖江藩領。13年の家数43軒、人数184人。
上島家は、由緒書によると先祖が養和年中(1181-82)に土着し、月ケ瀬・常安両村持の薬師・白山の神主をしていたと伝える。江戸時代、長百姓や庄屋を務めた。なお、上島用水は当家重兵衛が開いたとされる。
資料群の概要
中世文書は、月ケ瀬薬師堂や白山堂に関するものであり、これらにより国人池田氏や鞍谷氏の支配を知ることができる。
近世文書は村方関係が中心で、(1)太閤検地帳や名寄帳類、(2)池田郷村々明細帳・寺社道場改帳、村道場関係、(3)鯖江藩条目・山方条目や村定類、(4)用水関係、(5)村方騒動関係、(6)免状写、(7)売券・替地証文類、(8)当家持高・おろし米関係、(9)万覚帳類、などである。
(4)は、1794年(寛政6)頃から当家が中心になって計画し開いたとされる上島用水に関するものである。この用水は、足羽川上流の志津原村鯉谷から引水するもので、その工事は途中に天狗岩と呼ばれる岩壁に阻まれるなどして、中断することがあった。完成年は、当家資料中の記述や明治期の「故上島重平土地開墾ノ事績」など資料によって異なっているが、1827年(文政10)前後と考えられる。経緯を当資料中からあげると、まず工事途中の02年(享和2)10月、重兵衛は用水工事のため拝借米100俵を願っている。04年(文化1)8月には、志津原村との間で江料米を定める。さらにその後、志津原村へ水を分け与えるため字割出で用水路から2歩分を分水することが決められる。これにより、志津原村開田のための分水工事が行われたが、完成年は不明である。。27年(文政10)には、用水を月ケ瀬村方へ分水し、村方の畑地の開田を進めることになったが、村人との話し合いがつかず工事には至らなかった。この工事は34年(天保5)に始められ、この功により重兵衛は鯖江藩から帯刀を許された。これらの一連の工事を含めると、約40年の事業となる。なお、この用水による月ケ瀬村の新田掛高は5町3畝歩余である。
明治以降では、1895年(明治21)の炭山関係資料や1919年(大正8)の福井県史編纂資料の借用書などがある。
否撮カードはない。
利用条件
 
県史収載
資料編6 P.619-629 17点、通史編2 P.531・P.654・P.943、通史編3 P.127・P.300・P.302・P.405、通史編4 P.212・P.218・P.228・P.516
県史以外の収載
『池田町史』
複製本番号
G0051~G0057
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。