岡文雄家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
G0005
資料群名
岡文雄家文書
地域(近世,行政村,現在)
今立郡市村,上池田村市,池田町市
資料の年代
1598年(慶長3)~1923年(大正12)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
市村は足羽川上流の河内川と魚見川の合流地点の南に形成された台地上の村で、村高は172石余。1686年(貞享3)福井藩領から幕府領となり、一時期土岐頼殷領、1720年(享保5)から鯖江藩領となった。
岡家は代々市村の庄屋・長百姓などを務めた旧家で、斉藤氏を名乗っていた。1859年(安政6)に市組38か村の大庄屋となり、苗字帯刀御免となった庄三郎(元三郎とも)は、維新後も鯖江藩(県)の郷長、初期敦賀県の副区長などを務め、拡大敦賀県の「明治六年区分表」では現池田町域を管轄する第23大区区長、「明治七年改正区分表」では同地域を管轄する副区長を務めている。
庄三郎の子、研磨は、1885年(明治18)県会議員に当選、4か月で辞職して、稲荷村外10か村の戸長、明治22年には初代の上池田村長を務めた。明治24年と32年にも県会議員に当選、明治25年には衆議院議員選挙に無所属として第3区(南条・今立・丹生郡)から当選した。
研磨はまた、農事の改良増産に熱心で、明治10年代には、県の養蚕伝習所(谷口村)にかかわり、のちにその伝習所を引継いでいる。また郡の農事通信委員も務めている。牛の飼育にも熱心で、弟正雄に家を譲り、福井の城東に牧場を経営し、牛乳を販売した。弟正雄は、整骨医であった親の家業を継ぎ、自宅で医院を開業した。
資料群の概要
撮影資料は、約5000点余り。主要なものを分類すると、近世資料は(1)村関係(2)大庄屋関係(3)家関係、近代資料は(4)区長関係(5)農事関係(6)選挙関係などがあげられる。(1)では、1598年(慶長3)の太閤検地帳(荒谷・志津原・市)、1625年(寛永2)・71年(寛文11)の内検地帳をはじめ、95年(元禄8)からの約100通にのぼる年貢割付・皆済目録がある。(2)は近世資料の大半を占めるもので、1791年(寛政3)から1870年(明治3)の23冊の用留類など(1)との区分が判然としないものもあるが、当家が大庄屋となった安政期以降の組下村々の人別帳・五人組帳・宗門改帳・村明細帳・雑用割帳などの簿冊類や、鯖江藩への献金の請取、山論や村方出入に関する資料、年貢減免の嘆願書などがある。
近代資料では(4)が大半を占め、戸籍簿・成丁連名簿などの簿冊類のほか、現池田町域全体にわたる諸届類などの書類が多い。また、敦賀県・石川県時代の布令がよく残されており、なかでも初期敦賀県設置当初の布令廻状(約20通)のように、とくに初期敦賀県時代の布令類の残り方に特色がある。(5)は養蚕伝習所関係と郡農事通信委員関係が中心で、諸報告の下書類が多く、やや断片的なのが惜しまれる。(6)は書簡としてわずかに残されるのみ。
否撮カードはないが、県立歴史博物館には医学関係の書籍や、診断書綴りなども寄託されているが、この部分は未調査である。
利用条件
閲覧できない資料あり。
県史収載
資料編6 P.653-665 16点、通史編3 P.353・P.406・P.761、通史編4 P.326・P.389、通史編5 P.55・P.58・P.87・P.88・P.224・P.228
県史以外の収載
『池田町史』
複製本番号
G0074~G0155、G0653~G0788、G0904~G0922
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。