梅田雅文家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
G0004
資料群名
梅田雅文家文書
地域(近世,行政村,現在)
今立郡稲荷村,上池田村稲荷,池田町稲荷
資料の年代
1313年(正和2)~1911年(明治44)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
稲荷村は足羽川上流域東岸の山裾に位置する。古くは印内村と呼ばれた。はじめ福井藩領、1686年(貞享3)福井藩領、92年(元禄5)土岐頼殷領、1712年(正徳2)幕府領、20年(享保5)以降鯖江藩領。村高146石余。稲荷惣社神田2反5畝は、太閤検地において除地とされた。
梅田家は稲荷大明神(須波阿須疑神社)の神官を務めてきた。稲荷大明神の神主本家が梅田長門守であり(須波阿須疑神社文書参照)、当家は分家にあたる。当家文書によると、両家は、1595年(文禄4)に当社再興の免許を受けた梅田式部少輔平忠次が、1611年(慶長16)頃、忠正(宗兵衛)に家督を譲り、末子忠能(次郎左衛門)を伴って隠居したことに始まる。翌17年には神領2反5畝が両家に折半された。なお忠能は、22年(元和8)神道裁許状を得て、宮内少輔に任じられた。
資料群の概要
中世文書4点は、神田に関するものである。
近世文書は神社関係がほとんどであり、その他として村明細差出帳・五人組帳や村方関係、水戸浪士についての「傾城唐操人形」などがある。
神社関係には、(1)稲荷大明神の縁起・年中行事、(2)当家系図・神道裁許状類、継目願類、(3)本家長門守との出入、(4)神主持高の年貢物成通、などである。
(2)の神道裁許状のうち、1595年(文禄4)の平忠次神道裁許状写がある。この本通はもとは当家に伝えられたものであったが、1810年(文化7)当時本家の経惟(帷)へ譲られたものであり、その際写しが作られた。なお、本通は須波阿須疑神社文書として資料編に収載されており、この時の譲り状も須波阿須疑神社文書に残る。
(3)は1719年(享保4)春、分家の祠官梅田宮内丞隠居後跡を継いだ豊後守の宗門帳記載の肩書を、本家神主長門守が祠官とすることを認めず神人としたことによる争いである。翌年、京都吉田家の裁許により、豊後守の肩書はこれまで通り祠官、また神役もこれまでの通り務めることで落着した。
(4)は両家に分立する前後の1611年(慶長16)・14年の印内村神主分4.609石の納方通や分家の持高2.1石の納方通である。このほか、1839年(天保10)の稲荷村免状がある。
否撮カードはない。
利用条件
 
県史収載
資料編6 P.651-653 5点、通史編2 P.106
県史以外の収載
『池田町史』
複製本番号
G0046~G0047
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。