鵜甘神社原神主家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
G0001
資料群名
鵜甘神社原神主家文書
地域(近世,行政村,現在)
今立郡水海村,上池田村水海,池田町水海
資料の年代
1425年(応永32)~1878年(明治11)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
鵜甘神社(明治以前は八幡社と称される)は、社伝によれば500年(雄略天皇7)頃創立したとされる式内社である。1250年(建長2)、北条時頼が諸国を行脚した際当地に下向したことに起源を発するとされる能舞は国重要無形民俗文化財に指定され、現在まで継承されている。
原家は当神社の神主であり、1717-18年(享保3-4)には水海村の庄屋を務めている。
水海村は、足羽川上流の支流水海川にそう谷あいの村である。村高は、太閤検地では628石余、「正保郷帳」で634石余、「元禄郷帳」で646石余である。1724年(享保9)に地押が行われ、57石余の改出を加え704石余となる。はじめ福井藩領、1686年(貞享3)から幕府領となり、1720年(享保5)以降鯖江藩領となった。
資料群の概要
約690点を調査し、うち約580点を撮影した。
当家の文書は、本来この神社に伝来した文書と、水海村で代々村役人を務め、1752年(宝暦2)-65(明和2)に触元・大庄屋も務めた田中治(次)郎左衛門家に伝来した村方関係の文書に大別される。なお、原家と田中家の関係は不明であるが、「田中 原治郎左衛門益信」と記された文書があり、同文書中に略系図があって原治郎左衛門家と治郎右衛門家・吉田久左衛門家の分家関係が記されていた。別の文書では久左衛門・治郎右衛門は治郎左衛門の分家であるとなっていたので、原家と田中家は何らかの親類関係があるかもしれない。
神社関係では(1)当社の由緒、(2)他社・村方との争論 がある。このうち(2)は正徳期・享保期・文政期のものがあり、前2件は年貢未納や供米等に関する村方との出入である。1721年に原修理大夫は遠島に処せられ、子が神職を継ぐこと、娘が神官を婿に取ることが禁止され、血縁関係のない原内記が神職を継承した。同時に当社が惣社と自称することも禁止されており、原修理が須波阿須疑神社とも対立関係にあったことが知られる。
文政期の1件は須波阿須疑神社との争論であり、大礼等の神事をめぐるものである。
田中家伝来の文書群には中世文書が含まれる。そのほとんどは名田の売券であるが、当時の惣村の構成を知る上で貴重である。
近世文書は水海村の村方関係の他、大庄屋を務めた関係で他村の争論の訴状も多い。当村関係では(1)太閤検地・地押関係・名寄帳など、(2)幕府の触れや鯖江藩の条目、村定など、(3)用水関係、(4)山関係、(5)年貢、おろし米関係、(6)売券・質入れ証文、などがある。
(1)は太閤検地帳の他、1724年(享保9)の地押に関する起請文や除地願、枝村蒲沢村の検地免除願等がある。
(4)では60点弱を数える伐採願の他、個人の持山・惣山が留山となったため、運上金を納めて炭焼きの許可を求めたもの(1789年)、盗伐の詫状・山境争論などがある。
(5)は皆済目録(41年分)のほか、蒲沢村とのおろし作をめぐる争論などである。
否撮資料は、書状・願書類、年貢関係、借用・質物証文・売券・五人組帳・村送り証文などである。
利用条件
閲覧できない資料あり。
県史収載
資料編6 P.630-651 35点、通史編1 P.301・P.342、通史編2 P.572・P.576・P.670・P.944、通史編3 P.284・P.290・P.293・P.296・P.321・P.382-384・P.388・P.389・P.395・P.396・P.405、通史編4 P.214・P.222・P.517
『図説福井県史』
県史以外の収載
『池田町史』
複製本番号
G0021~G0039
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。