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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
F0510
資料群名
善勝寺文書
地域(近世,行政村,現在)
丹生郡二丁掛村,吉川村二丁掛,鯖江市二丁掛町
資料の年代
1596年(慶長1)~1816年(文化13)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
二丁掛村は日野川中流左岸に位置する。はじめ福井藩領、1645年(正保2)吉江藩領、74年(延宝2)福井藩領、86年(貞享3)幕府領、97年(元禄10)高森藩領、その後幕府領を経て1758年(宝暦8)以降美濃郡上藩領。「正保郷帳」による石高は1372石余、「元禄郷帳」「天保郷帳」による石高は726石余。両者に著しい差異があるのは冬島村を分村し、枝郷としたことによる。
当寺は浄土真宗三門徒派福井専照寺末で、一時鯖江誠証寺末となったこともある。
当寺は浄土真宗三門徒派福井専照寺末で、一時鯖江誠証寺末となったこともある。
資料群の概要
当寺の中世文書は6点。1596年(文禄5)の辻半助寺屋敷寄進状は、「今度之御検地」に際して寺屋敷一箇所を寄進する内容のものである。越前における16世紀の検地としては77年(天正5)の柴田勝家によるもの、98年(慶長3)、長束正家を総奉行とする太閤検地が知られるが、この文書は96年にも検地がなされた可能性があることを示すものである。また、豊臣秀吉の朱印状は雁3羽を贈られたことへの礼状、残る4点は蕗野保中野・寺川各道場の諸役免許状である。
近世文書は3点、親鸞絵伝を安置することの許可状、1793年(寛政5)前後に一時三門徒派から離脱、鯖江誠証寺末となった際の出入書綴等2点である。
近世文書は3点、親鸞絵伝を安置することの許可状、1793年(寛政5)前後に一時三門徒派から離脱、鯖江誠証寺末となった際の出入書綴等2点である。
県史収載
資料編5 P.117 2点
県史以外の収載
『鯖江市史』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
F0277
関連資料一覧
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