管理セクション
福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
F0050
資料群名
斎藤堅三家文書
地域(近世,行政村,現在)
今立郡定次村,新横江村定次,鯖江市定次町
資料の年代
1677年(延宝5)~1950年(昭和25)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
定次村は、日野川中流右岸の平野部にあり、東鯖江村の南に隣接する。はじめ福井藩領、1686年(貞享3)幕府領、1720年(享保5)鯖江藩領となった。村高1096石余で、鯖江藩領になった際に提出したと考えられる村明細指出帳では、家数73軒(本百姓20、小百姓・水呑53)、人口328人であった。
当家は、三郎兵衛を名乗り、村役人を務めた。さらに1899年(明治32)に今立郡会議員、1903年から06年までと16年(大正5)から18年まで新横江村長、その後37年(昭和12)にかけて村会議員、38年から42年まで村長を歴任した。
なお、第2回のフィルム2358(新横江村農会、産業組合関係)については、複製本が作成されていない。鯖江市史のデュープフィルムについても、同様である。
当家は、三郎兵衛を名乗り、村役人を務めた。さらに1899年(明治32)に今立郡会議員、1903年から06年までと16年(大正5)から18年まで新横江村長、その後37年(昭和12)にかけて村会議員、38年から42年まで村長を歴任した。
なお、第2回のフィルム2358(新横江村農会、産業組合関係)については、複製本が作成されていない。鯖江市史のデュープフィルムについても、同様である。
資料群の概要
文書群はおおまかにみると、(1)近世村方文書、(2)近代の新横江村役場文書、(3)これに付随する新横江村農会・今立郡農会関係文書、(4)機業経営などの私家文書から構成されている。
(1)は、鯖江市史からのデュープフィルムで複製本はない。1677年(延宝5)の定次村水帳をはじめとして、村の概要を知ることができるものとしては、1721年(享保6)定次村明細指出帳がある。このほか、とくに天保期以降の願書留(雛形を含む)・日記留が9冊あり、用水普請・年貢減免などとともに、縁談・相続・出稼・若者組などの願書が多く含まれ興味深い。
(2)は、明治期のものも数冊含まれるが、大半が昭和期に入ってからのものであり、村長を務めていた時期に役場文書の一部が引き継がれたと考えられる。新横江村は1936年(昭和11)に国民更正運動の教化村に、翌37年には経済更正村に指定されており、関係資料が豊富である。これらを機に37年4月に創刊された新横江村報(月刊)は、42年3月までほぼそろっている。
(3)も、昭和10年代を中心に、経費収支決算書、増産・生産統制・技術指導関係が含まれる。
(4)は、明治後期の斎藤機業場の羽二重売上手帳、織工元帳、羽二重通、生糸通などがある。昭和恐慌の影響をうけて倒産した南越織物の整理に関する書類、1937年から42年までの十二銀行の営業報告書も含まれる。
(1)は、鯖江市史からのデュープフィルムで複製本はない。1677年(延宝5)の定次村水帳をはじめとして、村の概要を知ることができるものとしては、1721年(享保6)定次村明細指出帳がある。このほか、とくに天保期以降の願書留(雛形を含む)・日記留が9冊あり、用水普請・年貢減免などとともに、縁談・相続・出稼・若者組などの願書が多く含まれ興味深い。
(2)は、明治期のものも数冊含まれるが、大半が昭和期に入ってからのものであり、村長を務めていた時期に役場文書の一部が引き継がれたと考えられる。新横江村は1936年(昭和11)に国民更正運動の教化村に、翌37年には経済更正村に指定されており、関係資料が豊富である。これらを機に37年4月に創刊された新横江村報(月刊)は、42年3月までほぼそろっている。
(3)も、昭和10年代を中心に、経費収支決算書、増産・生産統制・技術指導関係が含まれる。
(4)は、明治後期の斎藤機業場の羽二重売上手帳、織工元帳、羽二重通、生糸通などがある。昭和恐慌の影響をうけて倒産した南越織物の整理に関する書類、1937年から42年までの十二銀行の営業報告書も含まれる。
県史収載
資料編12上 P.378-385、P.472、 P.584-585、 P.728-731、P.885-903 5点、通史編6 P.272
県史以外の収載
『鯖江市史』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
F0394~F0403、F0411~F0450
関連資料一覧
縮小画像の表示/非表示
表示
件
表示順