福岡平左衛門家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
F0043
資料群名
福岡平左衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
今立郡下新庄村,新横江村下新庄,鯖江市下新庄町
資料の年代
1658年(万治1)~1923年(大正12)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
下新庄村は、はじめ上・中新庄村とともに新庄村とよばれていたが、正保郷帳では3か村に分かれている。文室川の両岸に位置し、村高は1534石余で、はじめ福井藩領、1686年(貞享3)から幕府領、1720年(享保5)間部氏の入部とともに鯖江藩領となる。鯖江藩は22年1月、領内を六組に分けてそれぞれに大庄屋をおき、その居村名をもって組名とした。福岡家は当初から大庄屋役を務め、安政期の一時期を除いて代々その役にあり、支配下の組は下新庄組とよばれ、その村数は15か村(高10011石余)であった。大庄屋給として米12俵を給付された。明治初年も大庄屋を務めるが、1870年(明治3)3月、下新庄組の大庄屋から郷長と呼称がかわる。
福岡家は、代々平左衛門を称し、「由緒書」によれば朝倉氏の家臣福岡石見守の後裔と伝え、主家の滅亡後この地に帰農していたが、結城秀康の入封後数代にわたって山奉行を務めたという。太閤検地のとき、屋敷地を除地とされ、1716年の持高は215石余、90年(寛政2)には104石余である。歴代のうち、大庄屋役中に限り苗字・帯刀を許されたり、扶持を賜ったりしているが、1846年(弘化3)には代々苗字帯刀を許され、二人扶持を賜った。また、これより前の01年(享和1)ころからは、持高のうち15石分が「御救手当引」とされた。36年(天保7)には、勤役中の「年貢上納方分納」となる。
資料群の概要
当家文書は鯖江藩大庄屋文書である。なかでも、1771年(明和8)以降1865年(慶応1)までのうち、76か年分の「御用留」(大庄屋日記)からは鯖江藩政や領内の動きを知ることができ、きわめて貴重なものである。
このほかに、山論、水論、用水普請関係、諸願書や諸証文類、鯖江藩触書、年貢関係、御用金関係、宗門帳、五人組帳などがある。間部氏は入封直後から財政難に苦しんでいたが、とくに1814年(文化11)に襲封した詮勝が、大坂城代や京都所司代、老中などを歴任したために、ますます出費がかさみ、そのために町在に御用金・調達金などを課すことが多く、その実態とこれに深くかかわった大庄屋の役割を知ることができる。
福岡家に関する資料には、大庄屋の心得を示す遺言状や家の経営にかかわる田畑のおろし帳がある。おろし帳は1774年(安永3)以降大正期にかけて撮影されているが、紙焼きは大正期の6冊のみ(フィルム番号1099)である(フィルム番号1093-1098については紙焼きされていない)。
撮影点数は、県立図書館および鯖江市史撮影分を含めて約900点。このほか、冊子類を中心に約1000点の否撮カードがあり、当家文書の総点数は2000点を超えるものと推定される。なお、否撮資料は、組下の郡中割銀帳、入用帳、年貢関係、囲米・囲籾関係、五人組帳、宗門帳、調達講・才覚金関係、巡見使関係、大福帳などである。
利用条件
 
県史収載
資料編5 P.140-183 9点、通史編3 P.304、通史編4 P.15・P.472・P.497・P.515・P.601・P.660・P.689・P.697・P.759・P.764・P.767・P.769
県史以外の収載
『鯖江市史』 『福井県古文書所在調査報告書』
複製本番号
F0193~F0236、F0278~F0351
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。