植田知代次家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
F0028
資料群名
植田知代次家文書
地域(近世,行政村,現在)
今立郡東鯖江村,新横江村東鯖江,鯖江市旭町
資料の年代
1725年(享保10)~1871年(明治4)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
将軍家宣・家継の側用人で老中格であった間部詮房は、1717年(享保2)上野高崎から越後村上へ転封となり、彼の没後、家督を相続した弟の詮言は20年(享保5)鯖江への転封を命じられ、鯖江藩が成立することとなった。
同藩は現在の鯖江市を始め、武生市・今立町・池田町・今庄町・朝日町・清水町・大野市・勝山市に散在する領地50,340余石(享保6)を有した。
同藩成立により西鯖江村の代官所跡に陣屋が設置され、陣屋町は当村内から5万坪余を、享保6年の小浜藩との領地替で隣接する東鯖江村から7万坪余を得て形成された。
同藩の家臣団は卒分を除き、士分は寛政期以降幕末まで315-360人程度で、家老・番頭・用人・物頭・給人・無足・中小姓の7階で構成され、用人以上の上士は昇進などの規定があり、優遇されるとともに藩の重職を務めた。
植田家は1705年(宝永2)に命貞(のぶさだ、辰之丞、半蔵)が間部詮房に召抱えられ、同藩成立時には4家老の1人として務めるなど命貞以後、同藩の重臣を務めることの多い名門で、家禄は最高で600石であった。当家の長屋門は市指定文化財である。
当家の当主は命貞を初代として、2代が命純(左仲、左門)、3代が元肇(伊織、門弥、舎人、頼母、志津摩など)、4代が惟敬(舎人、志津摩など)、5代が惟孝(住吉郎、左内、頼母)、6代が□太郎、7代が命誠(卯三郎、帯刀)、8代が命寧(豊吉、頼母)、9代が命纉(貢之進、志津摩、命雄)で間部姓を賜っている。4-6代が早世や夭折のため家格・家禄ともに低下した時期があったが、初代、3代、8代、9代が家老を務めた。明治初年には敦賀県の1区長を務めている(否撮文書で詳細不明)。当家では、当家独特の正月、節分、七草、小豆がゆ、新盆など昔ながらの行事を今に受け継いでいる。
資料群の概要
約110点が撮影されている。おおまかに分類すると、鯖江藩士の構成・規律・職制関係、藩主と当家当主間の年賀や藩政上の書状関係(県史資料編に4点収載)、中世のものを含むと思われる「細川春国感状」や「塩川伯耆守書状」など間部家祖先関係、他大名から間部氏や当家当主宛の年賀挨拶状・礼状など書状関係、当家当主からの足袋使用願・役御免願などの藩への願状関係、他家老から当家当主宛の年頭贈物礼状・披露状・皆勤褒状などの交際・役職上の書状関係、他家老から当家当主宛の御用召状関係、間部家や当家の由緒・系譜関係、などがある。
礼状のなかには井伊掃部頭直弼から植田半蔵への内祝礼状、橋本左内から植田頼母への礼状もある。また、植田頼母・貢之進が勘定奉行小倉喜太郎に宛てた「勝手向改革仕法帳」は幕末の鯖江藩資料といえる。
明治に入ると当藩の財政・職制などをまとめたものの他、「秩録取調」や藩主家の「間部家憲概要草案」、年代不明だが明治以降かと思われる橋本綱常の診察・処方の書状などがある。
否撮カ-ドにはないが、『鯖江市史』に収載されている「(鯖江城地ニ付内談書)」もある。近代のものとして明治初年の藩財政・家禄・手当給関係、敦賀県区長関係などがある。
否撮文書は近世のものとして「慶長三年検地越前国高付帳写」や110点を越える請取証文など証文類などを始めとして、検地・高付関係、養子・改名・家督相続関係、「御家人帳」や「大坂城代被蒙仰候節御下知状」など藩士・藩政関係、藩主に関する書状関係、絵図関係などがある。
利用条件
 
県史収載
資料編5 P.9-21 6点
県史以外の収載
『鯖江市史』 『福井県古文書所在調査報告書』 『間部家文書』
複製本番号
F0110~F0118
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。