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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
F0017
資料群名
山田龍治家文書
地域(近世,行政村,現在)
今立郡鳥羽村,神明村鳥羽,鯖江市鳥羽
資料の年代
1575年(天正3)~1880年(明治13)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
鳥羽村は日野川支流浅水川流域、北陸街道の東方に位置する。福井藩領で村高は「正保郷帳」1,782石余、「元禄郷帳」「天保郷帳」962石余。
山田家の先代は河和田で漆器業を営んでいた。
山田家の先代は河和田で漆器業を営んでいた。
資料群の概要
資料編収載の「越前国相越記」は山田竜治氏が1973(昭和48)に福井市郷土歴史博物館に寄託したもので、収集資料であると思われる。
岩野平三郎氏の鑑定によると漉法は古式稚拙で、江戸時代以前の紙に間違いないとのことである。この文書は1575年(天正3)8月、本文書の筆者と推定される奈良興福寺大乗院門跡尋憲が、かつては大乗院が所有していた河口・坪江庄の返還を目的に、越前に下向した際の旅日記ともいうべきものである。天正3年8月とは織田信長が一向一揆を掃討し越前を平定した月であり、これまで「朝倉始末期」「信長公記」などによって断片的にしか窺うことのできなかった越前の情勢を的確に把握しうる貴重な資料といえる。本書から当時の荒廃した越前の様子や信長との対応、河口・坪江荘返還に関する尋憲の執着ぶり等を知ることができる。
他の資料は1825年(文政8)からの本保役所御用留帳、83年(明治16)の上石田村戸長役場の事務諸用録など。
否撮カードはなし。
岩野平三郎氏の鑑定によると漉法は古式稚拙で、江戸時代以前の紙に間違いないとのことである。この文書は1575年(天正3)8月、本文書の筆者と推定される奈良興福寺大乗院門跡尋憲が、かつては大乗院が所有していた河口・坪江庄の返還を目的に、越前に下向した際の旅日記ともいうべきものである。天正3年8月とは織田信長が一向一揆を掃討し越前を平定した月であり、これまで「朝倉始末期」「信長公記」などによって断片的にしか窺うことのできなかった越前の情勢を的確に把握しうる貴重な資料といえる。本書から当時の荒廃した越前の様子や信長との対応、河口・坪江荘返還に関する尋憲の執着ぶり等を知ることができる。
他の資料は1825年(文政8)からの本保役所御用留帳、83年(明治16)の上石田村戸長役場の事務諸用録など。
否撮カードはなし。
県史収載
資料編3 P.474 1点
県史以外の収載
『福井市立郷土歴史博物館々報』復刊1、『越前若狭一向一揆関係資料集成』、『鯖江市史』、『福井県古文書所在調査報告書』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
F0041、F0769
関連資料一覧
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