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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
E0090
資料群名
岡部長武家文書
地域(近世,行政村,現在)
今立郡清水頭村,味真野村清水頭,越前市清水頭町(武生市)
資料の年代
1542年(天文11)~年未詳
資料目録件数
8
組織歴および履歴
清水頭村は、日野山東北麓の味真野扇状地の扇央部に位置する。江戸時代を通じて福井藩領。畑高のみで33石余。
当家撮影文書(「岡部家色々の跡」、「岡部氏系譜」)によれば、当家は戦国期は遠江国にて今川義元、武田信玄・勝頼に仕え、その後徳川家康に仕えた後、結城秀康に仕え秀康の越前国支配により越前に移ったという。
「岡部氏系譜」によれば、当家当主は岡部五郎兵衛、岡部半兵衛等を名乗っているが、松平文庫のなかの「秀康給帳」の岡部五郎兵衛1,000石、享保期の「諸士先祖之記」の岡部半兵衛家、「吉品給帳」の岡部半兵衛100石等に該当するものと思われる。
明治初年、福井士族の岡部左門なる人物が1873年(明治6)敦賀県第四十三大区区長、翌年同県八大区区長を務めているが、当家撮影文書(「岡部家色々の跡」、「岡部氏系譜」)には、岡部岩次郎改め岡部左門元愛が上記区長となっていたことが記されている。彼はこの他に68年(明治1)に福井藩軍務寮権大属、79年(明治12)に石川県南条今立郡書記等になっている。
また、彼は1873年(明治6)今立郡粟田部に移住と記されているが、現住所に何時移ったのかは不明。
なお、彼の子息は内務省警護局属、福井県収税課事務取扱、同県南条今立郡書記等になり、その弟は福井市旭等の小学校教員、鉄道局東海鉄道長浜駅車掌等になっているが二人とも20代なかばで病没している。
当家撮影文書(「岡部家色々の跡」、「岡部氏系譜」)によれば、当家は戦国期は遠江国にて今川義元、武田信玄・勝頼に仕え、その後徳川家康に仕えた後、結城秀康に仕え秀康の越前国支配により越前に移ったという。
「岡部氏系譜」によれば、当家当主は岡部五郎兵衛、岡部半兵衛等を名乗っているが、松平文庫のなかの「秀康給帳」の岡部五郎兵衛1,000石、享保期の「諸士先祖之記」の岡部半兵衛家、「吉品給帳」の岡部半兵衛100石等に該当するものと思われる。
明治初年、福井士族の岡部左門なる人物が1873年(明治6)敦賀県第四十三大区区長、翌年同県八大区区長を務めているが、当家撮影文書(「岡部家色々の跡」、「岡部氏系譜」)には、岡部岩次郎改め岡部左門元愛が上記区長となっていたことが記されている。彼はこの他に68年(明治1)に福井藩軍務寮権大属、79年(明治12)に石川県南条今立郡書記等になっている。
また、彼は1873年(明治6)今立郡粟田部に移住と記されているが、現住所に何時移ったのかは不明。
なお、彼の子息は内務省警護局属、福井県収税課事務取扱、同県南条今立郡書記等になり、その弟は福井市旭等の小学校教員、鉄道局東海鉄道長浜駅車掌等になっているが二人とも20代なかばで病没している。
資料群の概要
1542年(天文11)から73年(天正1)頃の当家先祖にあてた今川義元の書出、武田晴信(信玄)の朱印状、武田勝頼の安堵状と年不詳ながら明治期末ころの当家由緒・系図などである。
県史収載
資料編6 P.97 3点
県史以外の収載
『武生市史』
備考
撮影下限明治期末頃
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
資料の複写は不可。
複製本番号
E0588、E0598
関連資料一覧
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