毫摂寺文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
E0089
資料群名
毫摂寺文書
地域(近世,行政村,現在)
今立郡清水頭村,味真野村清水頭,越前市清水頭町(武生市)
資料の年代
1518年(永正15)~1905年(明治38)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
清水頭村は、日野山東北麓の味真野扇状地の扇央部に位置する。江戸時代を通じて福井藩領。石高は畑地のみで33石余である。「旧高旧領」では他に当寺の除地が15石余記されており、面積で同村内の約3分の1を占めていた。
当寺は越前真宗四か本山の一つ、真宗出雲路派の本山である。由緒書によれば親鸞が1233年(天福1)、山城国愛宕(おたぎ)郡出雲路(現在の京都市北区)に一宇を草創し、息善鸞に付与したのに始まるとするが、本願寺三世覚如の門弟、出雲路乗専が今出川に寺基を移したことに起源を求める説が有力である。
応仁・文明の乱の後、善智(善幸)・善鎮(善智の弟善秀の子)は越前横越の証誠寺との本末関係を頼って越前に下向し、善鎮はやがて水落の山本荘に毫摂寺を再興した。
当寺は1518年(永正15)、後柏原天皇の勅願寺となり、仁和寺下になった。さらに善秀(善鎮の孫)の代、1589年(天正17)に後陽成天皇の勅願寺となり、粟田口青蓮院の院家となった。1596年(慶長1)に現在地に寺基を定めており、県史資料編収載の「末寺申請書」には39の末寺が記されている。
資料群の概要
県史資料編掲載文書のうち4点は中世文書である。後柏原天皇の綸旨は、永正18年(1521年)と表記されているが、実際は永正15年の誤写であるので、掲載資料の上限も修正してある。
それ以外の文書は大別して(1)口宣案・補任状、(2)寺法・末寺関係、(3)由緒書・御用日記等、(4)宗旨人別帳、(5)書状類 などである。
(1)は15世善休から21世善静までのものがほぼ揃っており、代々法印大和尚位、大僧正もしくは権大僧正に任じられていたことがわかる。また、紫衣の着用免許も含まれる。
(2)は末寺からの請書や寺法、末寺の改宗・改派停止願などが見られ、他に末寺の人別帳もある。
(3)には開帳や遠忌の記録、本堂修復の際の進捗状況や寄附一覧などがある。
(4)は1802年(享和2)の北小山村の宗旨人別帳で、1点は真宗、もう1点は池泉村の霊泉寺(曹洞宗)檀家の分である。
(5)は青蓮院の坊官からの書状が中心である。
否撮文書は約350点余りで、触状・廻状などが大半を占め、遠忌関係の文書もある。
利用条件
複写不可の資料あり
県史収載
資料編6 P.153-160 9点、通史編2 P.297・P.752・P.753・P.928・P.934・P.998・P.1004-1006・P.1009-1010、通史編3 P.643・P.649・P.658・P.675・P.677-679、通史編5 P.950
県史以外の収載
『武生市史』 『越前若狭古文書選』
複製本番号
E0590~E0597
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。