大虫神社文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
E0065
資料群名
大虫神社文書
地域(近世,行政村,現在)
丹生郡上大虫村,大虫村上大虫,越前市大虫町(武生市)
資料の年代
1583年(天正11)~1894年(明治27)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
大虫神社は、鬼ケ岳の東南麓上大虫村に鎮座する。早くは『続日本紀』に神名が見え、また式内社として古代以来著名である。中世には大虫荘の中心として栄え、新田・斯波・朝倉氏と代々武将の崇敬も篤かった。天正初年に兵乱によって焼亡したが、1583年(天正11)羽柴秀吉によって再興されたと伝えられる。江戸時代には、福井・鯖江の両藩主や府中本多氏の祈願所となり保護をうけた。
上大虫村は、武生市街地の西部、大虫川が丹生山地から武生盆地に流れ出るあたりに位置する。村高は正保郷帳で852石余で、元禄郷帳以降882石余となった。はじめ福井藩領、1686年(貞享3)幕府領となり、97年(元禄10)には紀州松平頼職(高森藩)領、さらに幕府領をへて1720年(享保5)に鯖江藩領となった。
資料群の概要
撮影文書の多くは近世後期のもので、(1)神社文書、(2)神職文書、(3)村方文書に大別される。かつては中世文書も所蔵していたと思われるが、ほとんどは早い時期に流出してしまったようである(『福井県史』資料編2 猪熊文書参照)。
(1)には、1583年(天正11)羽柴秀吉禁制の写、大虫神社の由緒・縁起、祭礼執行に関する覚書、御宮普請・輿再建関係が含まれる。また1832年(天保3)には、村内の日蓮宗寺院が裏手の山に設けた火葬所をめぐって、江戸出訴に及んでおり、関連の願書・覚書、絵図・裁許状がまとまって残されている。さらに51年(嘉永4)にも大祭中の同社の大門先を葬列が通行したことをめぐって争論が起きている。
(2)では、神職の1648年(正保5)年以降の神道裁許状、位記、口宣案、明治前期の巡教師・祠掌・小学訓導などの辞令、日記類、遺書などがある。とくに1801年(享和1)に神主となった岡野吉伴は、公用留、神事記、神職相続に際しての上京記、伊勢参宮日記など俳句をまじえた日記類を多く残している。また吉孝が記したと思われる1855年(安政2の)丹生郡下村々・敦賀への相対勧化日記も興味深い。
ほかに岡野吉孝編「高祖九代実記」、同著「越前国官社考」がある。前書は、江戸時代の代々の神主の事績が詳しく記されており、儒学・医学・天文などの学問の遍歴や1744(延享1)から明治初年まで寺子屋の師匠をしていたこともわかる。また著者は不明であるが、特産であった紙漉き、温石、六宝石に関する冊子も含まれる。
(3)では、1642年(寛永19)の神領山の山割に関する文書、宮井・信広用水関係の文書、近隣の十数か村で交わした村締方定書(1785年・1833年)、若連中掟書などが含まれる。神領山の山割では、氏子4か村が大虫明神の神前で神鬮を引いて割り分けていた。
否撮カードは、一括してある書状類を含む90点ほどで、売券、借用証文、祝文・祭文、書状類である。
利用条件
 
県史収載
資料編6 P.86-96 6点、通史編3 P.314、通史編4 P.649・P.651・P.660・P.687・P.688・P.760
県史以外の収載
『武生市古文書目録』(岡野吉顕氏文書)、『武生市史』
複製本番号
E0391~E0408
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。