田中四郎兵衛家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
E0061
資料群名
田中四郎兵衛家文書
地域(近世,行政村,現在)
南条郡岡本村,茶臼山村岡本,越前市岡本町(武生市)
資料の年代
1529年(享禄2)~1880年(明治13)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
岡本村は府中市街の西郊、茶臼山の西北麓に位置する。近世を通して福井藩領。村高は田方185石余、畑方87石余。1792年(寛政4)の家数21うち高持16・雑家5、人数103。
当家は代々四郎兵衛を名乗り、当家資料では少なくとも1839年(天保10)以降明治初年にかけて庄屋役を務めていることが確認される。
資料群の概要
当家資料約110点の内容は、用水や一般的な村方にかかわるもの、および売券等からなるが、なかでも用水関係は、中世以来近世を通じてよく争論を起こした上下広瀬村と当村との三か用水関係がほとんどで、当村など一三か村と中平吹村とが争った井部用水関係が一部ある。
とくに三か用水関係は戦国期から争論事例が確認される。1529年(享禄2)に広瀬村から「大虫之社・岡本・太田之三ケ村」に対し輪番に通水していた用水を止めるよう訴えが出されると、朝倉氏の府中奉行人青木景康・印牧美次は「何篇水の事は先規通りの如く」とし、それでも子細があれば一乗谷の朝倉氏のもとへ「出谷」のうえ訴えるべきことを広瀬村の地頭・百姓中に申し届けるという形で水論の裁定を行っている。なお前述の県史調査時に確認できなかった1363年(貞治2)「七条殿沙汰状写」は同じ争論についての斯波高経の裁許状写しで、すでにこの時点で旧例通り3か村の輪番による3日に1日の取水権が認められたという。
近世の争論も上下広瀬村と当村との争いで、用水上流部にあたる上下広瀬村(石高合せて約2500石)が渇水期に石高に比例する通水量を主張して通水を止めたりするのに対して、石高では1割に過ぎない当村が先例を理由に3日に1日の通水を主張し、認めさせるという争いを繰り返している。
村方資料では明治初年のものに特色があり、1871年(明治4)7月「村方矩(ママ)定改一札之事」は、廃藩に際して、年貢の割方などについて先年より規定が等閑になっているので、戸長・里長出張立会のうえ、改めて規定するとしており、たとえば村長諸帳面類の扱いについては、「規定書類は格別、何方に有之候共、後年ニ至るも相分り候様可致事」などとしている。また72年「差入申一札之事」によると、旧福井藩領から敦賀県管轄になった村々では検見取、内検が行われたことがわかる。
当家資料には屏風に貼り混ぜにしてあるものがあり、また屏風の下張と注記されたものもある。とくに後者の場合、ほとんどが前欠・後欠・断簡で、当家に関係のない資料が多く含まれているが、なかには、たとえば1690年(元禄3)「(鳥羽野町諸役免許につき願書)」など内容のあるものも含まれている。
否撮カードはない。
利用条件
 
県史収載
資料編6 P.200-202 4点、通史編2 P.103・ P.589
県史以外の収載
『武生市史』
複製本番号
E03652
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。