陽願寺文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
E0054
資料群名
陽願寺文書
地域(近世,行政村,現在)
南条郡府中町,武生町本町,越前市本町(武生市)
資料の年代
1499年(明応8)~1856年(安政3)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
本町は府中の中央、北陸街道沿いに位置する。1625年(寛永2)の家数は52軒、1774年(安永3)では56軒である。当寺は出雲山と号し、浄土真宗本願寺派の寺院である。当寺の由緒書によれば、京都出雲路毫摂寺と関係が深い。陽願寺開基善鎮は蓮如に帰依して1483年(文明15)に広瀬村に道場を建立し、2年後の85年(文明17)陽願寺の寺号を賜ったとある。その後天正年間(1573-92)に現地に移り、1597年(慶長2)に国内本願寺派の惣録となったとされている。なお、資料編では寺号免許の年代を1597年(慶長2)としている。
慶長年間以降府中本多家の菩提寺格となり、禁制をうけるなど本多家の保護を受けた。1758年(宝暦8)の「府中寺社除地」によれば当寺の除地は5反1畝25歩となっている。
資料群の概要
資料編掲載文書は石山戦争で籠城中、兵粮米の援助を求めた顕如の消息である。消息は他に、遺言により、蓮如の遺骨を当寺へ譲る旨を記した実如のもの、本願寺の東西分派以降、門徒獲得のために結成した越前川南十三日講への准如消息、親鸞の600年遠忌への参詣をうながす広如(西本願寺20世)のものなどがある。越前川南十三日講は、越前川北廿五日講とならんで、越前における最大の講組織の一つである。
それ以外の文書は大別して(1)当寺と当寺の法物の縁起、(2)地子米に関わる紛争、がある。
このうち(2)は、地子米を粟田部の百姓が滞納したために道場の修復や法事に差し障りが出たことの争論であり、1774年(安永3)を初出として95年(寛政7)まで9点がある。
否撮カードはない。
利用条件
 
県史収載
資料編6 P.357 1点、通史編2 P.775・P.1010 通史編3 P.659 P.704 通史編4 P.372 通史編5 P.202-203・P.256
県史以外の収載
『武生市史』 『越前若狭古文書選』
複製本番号
E0482~E0483
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。