宮川源右衛門家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
E0052
資料群名
宮川源右衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
南条郡中山村,坂口村中山,越前市中山町(武生市)
資料の年代
1465年(寛正5)~1872年(明治5)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
中山村は武生市の西南部、糠川の最上流部の山中に位置し、西は山を越えて甲楽城浦・糠浦にいたる。中世以来、府中と河野浦を結ぶ西街道筋の運送に従事した山内馬借(中山村・勾当原村・湯谷村)の一村である。問屋は湯谷村におかれたが、湯谷宿は中山村と勾当原村との立合宿であった。なお、湯谷宿の役馬数は8疋で、中山村と勾当原村が折半して負ったが、中山村分のうちの1疋は湯谷村分とされた。
当村の村高は219石余で、1686年(貞享3)福井藩領から幕府領となり、97年(元禄10)高森藩領、1705年(宝永2)再び幕府領、64年(明和1)西尾藩領となる。村高の3分の1にあたる73石余には夫米・糠藁が掛からなかった。なお、馬借運上米として6.867石を納める(湯谷宿分としては13.734石であり、これを当村と勾当原村が折半した)。湯谷宿がおかれた湯谷村は福井藩領であったため、御用伝馬については福井藩からの指示で行われた。
宮川家は源右衛門を称し、太閤検地帳による名請高は103石余であり、庄屋役などを務めた。
資料群の概要
約400点を調査し、うち約390点を撮影した。
当家文書の半数は、西街道にかかわる馬借・宿関係文書であり、それ以外は土地・貢租・諸願書・質物証文類などである。戦国時代の馬借関係資料6点はいずれも写であり、このうちの2点は今泉浦の西野次郎兵衛家に原文書が残る。
馬借・宿関係の文書は、西街道の伝馬駄賃に関する定、山内馬借と河野・今泉浦馬借との運送利権関係、山内馬借と甲楽城浦・八田村との塩荷・杪柴をめぐる出入、広瀬村との継荷場(馬塚継)をめぐる出入、湯谷村との馬借運上米をめぐる出入、脇道通行関係、18世紀以降の通行荷の減少にともなう救恤願関係、高札場普請関係、道中筋条目類などに分けられる。
このうち救恤関係では、中山村馬借17人は1705年(宝永2)に金21両余(銀1貫300匁)を5年賦で拝借しており、07年には往来荷物の減少にともない駄賃稼ぎが減ったことに加えて、北陸道筋での御用伝馬が高負担になっているとして拝借金もしくは年貢率の引下げを願っている。このほか、12年(正徳2)には、馬借運上米免除・惣高無諸役・大助伝馬勤御免を願い出ている。
土地関係には、大谷吉継知行目録や太閤検地帳などがある。
貢租関係には、幕府領時代および高森藩・西尾藩領時代の免状と皆済状がある。幕府領時代の1712年(正徳2)には、丹生・坂井・今立3郡内の村々は年貢米に加算されていた「差米」の免除を願い出ている。その願書によると、紀州領(高森・葛野藩)当時の丹生・坂井郡内の村々には納米1俵(4斗入り)に5升6合、土岐領当時の今立郡内の村々には5升ずつの込米があり、これらは「差米」と名付けられて取立てられていた。この差米は幕府領に戻った後も廃止されることなく続いていた。なお、皆済状によると、31年(享保16)になってようやく廃止されている。
質地関係には、質物証文のほかに、1722年(享保7)の幕府による質地禁止令をめぐって、当村を含む数か村が代表を江戸へ送ったことが知られる資料がある。
否撮資料は火事見舞帳・普請所破損内見下目録や願書類である。
利用条件
 
県史収載
資料編6 P.329-348 15点、通史編2 P.470・P.827・P.829・P.831、通史編3 P.77・P.95・P.348・P.441・P.579・P.584・P.595・P.596、通史編4 P.248・P.361・P.375・P.419
県史以外の収載
『武生市史』 『福井県古文書所在調査報告書』 『南条郡古文書目録』
複製本番号
E0420~E0429
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。