総社大神宮文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
E0050
資料群名
総社大神宮文書
地域(近世,行政村,現在)
南条郡府中町,南条郡武生町,越前市京町(武生市)
資料の年代
1472年(文明4)~1828年(文政11)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
総社(惣社)とは、一定地域内の多くの神社の祭神を一箇所に集めて勧請した神社の総称である。
よく知られているものに国ごとに一国内の祭神を集めて勧請した総社があり、国司が任国内の神社を管理奉祭するなかでしだいに国府内、または国府近くに一宮・二宮以下のの祭神を集めて勧請したことに始まり、11世紀後半には成立していたと考えられている。
当社は越前国の総社とされる。「一遍上人絵伝」に1290年(正応3)と92年に時宗の第2祖真教が当社に参籠したと記され、1460年(長禄4)の刀祢文書には河野浦の当社領から色々の納所があったと記されている(『越前若狭古文書選』)。1543年(天文14)に越前一乗谷に下向した清原枝賢は、5月の府中祭(総社祭礼)を見物し、山車や裸の駕輿丁を記録している(「天文十二年記」)。1559年(永禄2)今立郡鞍谷の鞍谷轆轤中に宛てた朝倉一乗谷奉行人朝倉景連等4人の連署状によると、鞍谷轆轤師は1301年(正安3)の院宣を所持し、府中総社の2度の諸役を怠らない云々とある(県史通史編4)。
1472年(文明4)、朝倉氏は当社領を安堵し、日御供料として鯖江荘の30石を寄進している。1573年(天正1)の信長禁制の後、1592年(文禄1)青木秀以は丹生郡新保村の30石を社領として寄進し、本多氏はこの30石を高外として江戸時代を通じて安堵した。旧県社。
資料群の概要
撮影文書は18点。1472年(文明4)の朝倉孝景の社領安堵・寄進状、1573年(天正1)の信長の禁制、1607年(慶長12)の福井藩祖結城秀康死去直後の本多富正家臣松本源兵衛差し出しの富正殉死をとどめる願文、松平忠昌・光通・昌親・綱昌の社領安堵状、縁起類等である。
否撮カードはない。
利用条件
 
県史収載
資料編6 P.197-198 6点、通史編2 P.1064、通史編3 P.127
県史以外の収載
『武生市史』
複製本番号
E0498
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。