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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
E0045
資料群名
正願寺文書
地域(近世,行政村,現在)
南条郡府中古城町,武生町泉,越前市本町(武生市)
資料の年代
1497年(明応6)~1917年(大正6)
資料目録件数
31
組織歴および履歴
正願寺は真宗大谷派寺院。1610年(慶長15)寺号を与えられた。なお、『越前若狭古文書選』では、西念房に正願寺という寺号を与えたとする「(粟津村昌奉本願寺御印書)」の年代を1587年(天正15)としているが、資料編6ではこの文書の年代を慶長15年としている。
資料群の概要
当寺文書は寺号免許前後の本願寺坊官書状10通が中心で、これは西念房から正願寺への寺院化の様子を知ることのできる資料として注目されるが、前述のように、寺院化の年代が、県史資料編により天正15年から慶長15年に訂正されている。本願寺坊官書状は貼り継ぎの軸装で、複製本は順序が入替えてあり、さらに理由は不明だが、同文書を2度撮影している。また、一部資料にピントのあまいものがあり、再撮影しているものもある。本来、再撮影した場合、不用となったものを破棄すべきであるが、この複製本ではすべて編綴してある。このため、再撮影の資料は、枝番号処理によって2度目録化したので、閲覧に際しては注意されたい。
つぎに、1598年(慶長3)「越前苻中寺庵中注文(越前府中寺庵敷地注文写)」は、府中検地の際、除地となった寺庵の敷地を列記したもので、正願寺にも4畝13歩の敷地が与えられている。しかし、称名寺伝来の同注文(武生市史編さん室所蔵「府中寺社御除地」収載)と校合すると、一部異動が見られ、とくに正願寺は「西念」と記されて寺号がない。これらのことから、当寺の寺院化の年代については、早い段階で作為のあったことが考えられる。
1917年(大正6)「第一回福井縣史史料展覧会陳列品目録」は、16年から始まった旧県史の編さん事業の一環として、この年9月に日本赤十字社福井支部で開催された際の目録である。番外を含め45点の展示資料のなかに、太閤検地文書の1つとして当寺資料の「越前苻中寺庵中注文」があげられている。なお、この目録中の資料で散逸したものに、坂井郡大石村岡部直景氏所蔵文書、同郡浜四郷村林三郎左衛門氏所蔵文書、吉田郡中藤島村龍田利嗣氏所蔵文書があり、また福井県庁所蔵の「北潟湖岸開拓図」「三国築堤図」も現在所在が不明である。
否撮文書は14点で、江戸後期の証文類13点と明治初期の土地・租税関係綴り1点。
つぎに、1598年(慶長3)「越前苻中寺庵中注文(越前府中寺庵敷地注文写)」は、府中検地の際、除地となった寺庵の敷地を列記したもので、正願寺にも4畝13歩の敷地が与えられている。しかし、称名寺伝来の同注文(武生市史編さん室所蔵「府中寺社御除地」収載)と校合すると、一部異動が見られ、とくに正願寺は「西念」と記されて寺号がない。これらのことから、当寺の寺院化の年代については、早い段階で作為のあったことが考えられる。
1917年(大正6)「第一回福井縣史史料展覧会陳列品目録」は、16年から始まった旧県史の編さん事業の一環として、この年9月に日本赤十字社福井支部で開催された際の目録である。番外を含め45点の展示資料のなかに、太閤検地文書の1つとして当寺資料の「越前苻中寺庵中注文」があげられている。なお、この目録中の資料で散逸したものに、坂井郡大石村岡部直景氏所蔵文書、同郡浜四郷村林三郎左衛門氏所蔵文書、吉田郡中藤島村龍田利嗣氏所蔵文書があり、また福井県庁所蔵の「北潟湖岸開拓図」「三国築堤図」も現在所在が不明である。
否撮文書は14点で、江戸後期の証文類13点と明治初期の土地・租税関係綴り1点。
県史収載
資料編6 P.163 10点、通史編3 P.651 P.659
県史以外の収載
『越前若狭古文書選』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
E0324
関連資料一覧
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