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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
E0044
資料群名
加藤秀徳家文書
地域(近世,行政村,現在)
南条郡下中津原村,坂口村下中津原,越前市下中津原町(武生市)
資料の年代
1555年(弘治1)~1909年(明治42)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
下中津原村は武生市と河野村境にある矢良巣岳の北麓に形成される盆地に位置する。村高は716石余で、はじめ福井藩領、1686年(貞享3)幕府領となり、1764年(明和1)から西尾藩領。1687年には30軒・153人、うち高持17軒98人・雑家13軒55人。なお、資料編6解題で、当家の出身を上中津原村とするのは間違い。
加藤家は平四郎を名乗り、当家文書では文化期以降庄屋などの村役を務めている。1898年(明治31)-1909年(同42)「通達書留」は坂口村村会議員を務めた嘉登次氏宛のもの。当家の現住所への移転時期は不明。
加藤家は平四郎を名乗り、当家文書では文化期以降庄屋などの村役を務めている。1898年(明治31)-1909年(同42)「通達書留」は坂口村村会議員を務めた嘉登次氏宛のもの。当家の現住所への移転時期は不明。
資料群の概要
当家の撮影文書は(1)資料編掲載の中世文書1点と(2)近世文書が約50点のほか、(3)明治期の布達留綴が2冊である。
(1)は一向一揆攻撃のため朝倉軍が加賀へ侵攻した際の朝倉義景感状と思われるが、宛所がすり消されており、伝来の経緯は不明である。
(2)では1714年(正徳4)-1831年(天保2)の年貢割付状10通、1720年(享保5)-1842年(天保13)の年貢皆済状9通がある。
(3)の1880年(明治13)「御達写」は下中津原村戸長加藤平四郎に宛てられた、南条今立郡役所などからの通達書留であり、分量的には当家文書の過半を占める。内容でも地租改正再調への対応、たとえば「市七郡有志村々聯合会議定章」や、南条郡今宿村外33か村による「越前国七郡地租改正再調手続書御改正願」などの写しが綴り込まれており注目される。
否撮文書は169点で、安永期-明治期の売券が161点あり、ほかに1873年(明治6)と76年(明治9)の布告写が2冊ある。
(1)は一向一揆攻撃のため朝倉軍が加賀へ侵攻した際の朝倉義景感状と思われるが、宛所がすり消されており、伝来の経緯は不明である。
(2)では1714年(正徳4)-1831年(天保2)の年貢割付状10通、1720年(享保5)-1842年(天保13)の年貢皆済状9通がある。
(3)の1880年(明治13)「御達写」は下中津原村戸長加藤平四郎に宛てられた、南条今立郡役所などからの通達書留であり、分量的には当家文書の過半を占める。内容でも地租改正再調への対応、たとえば「市七郡有志村々聯合会議定章」や、南条郡今宿村外33か村による「越前国七郡地租改正再調手続書御改正願」などの写しが綴り込まれており注目される。
否撮文書は169点で、安永期-明治期の売券が161点あり、ほかに1873年(明治6)と76年(明治9)の布告写が2冊ある。
県史収載
資料編6 P.103 1点
県史以外の収載
 
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
E0350~E0353
関連資料一覧
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