千僧供区有文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
E0043
資料群名
千僧供区有文書
地域(近世,行政村,現在)
今立郡千僧供村(庄村・横市村、塚町村),国高村庄・横市・塚,越前市庄町横市町塚町(武生市)
資料の年代
1611年(慶長16)~1910年(明治43)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
千僧供村は、村国山の北東に位置した。1646年(正保3)の郷帳によると、村高2201石余で、1村となっていたが、当区有文書では天和期(1681-84)ころから庄村、横市村、塚町村に分かれており、その後も千僧供3か村と総称されていた。石高は、それぞれ569石余、727石余、904石余であった。いずれもはじめ福井藩領、横市村が45年(正保2)に松岡藩領となり、1721年(享保6)にふたたび福井藩領となった。
3か村の用水である土呂川用水は下村の北村(福井藩領)、杉崎・下真柄村(はじめ福井藩領、1686年幕府領、1860年鯖江藩領、1862年幕府領福井藩預り所)の諸村も灌漑するため、江戸時代を通じて、争論が絶えなかった。なかでも明和期(1764-72)には江戸出訴におよんでいる。
資料群の概要
1611年(慶長16)以降の当区有文書のほとんどは、用水関連のものである。争論の多くは、大屋村地籍内の低湿地帯での用水分岐点をめぐって争われており、1767年(明和4)に江戸出訴に及んだ争論も分岐点の胴木の伏替をめぐるものであった(69年裁許)。この訴訟の出費から千僧供3か村は困窮し、拝借米・年賦借用を願い出ている。なお土呂川用水には、金沢浪人小柳太郎左衛門が人柱となったという伝承があり、これに関わる文書も含まれる。
1927年(昭和2)には55点の関係文書の「土呂川用水書類目録」が作成されている。
否撮カードはない。
利用条件
 
県史収載
資料編6 P.170-176 4点
県史以外の収載
『武生市古文書目録』
複製本番号
E0348~E0349
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。