金森穰家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
E0026
資料群名
金森穰家文書
地域(近世,行政村,現在)
南条郡白崎村,王子保村白崎,越前市白崎町(武生市)
資料の年代
1587年(天正15)~1928年(昭和3)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
白崎村は府中町(武生市街)の西南、春日野谷口に位置する。村高は正保郷帳で930石。はじめ福井藩領で、1686年(貞享3)に幕府領、1759年(宝暦9)には旗本金森左京(可英)家領となって幕末にいたった。なお、当村には金森氏の居館が設けられた。
旗本金森氏は、織田信長の家臣金森長近の系譜をひき、長近の死後、1615年(元和1)に宗家3代重頼から所領3万8000石のうち3000石を分知された重勝を祖とし、以後代々左京家を称した。宗家は92年(元禄5)出羽国上山(山形県)に、またその5年後には美濃国郡上八幡に転封したが、内分知のため当家も共に移動した。1758年(宝暦8)の郡上騒動により宗家金森郡上藩は改易されたが、幕府は左京家4代の可英(アリテル)に金森の名跡を継がせ、新たに南条・今立両郡に3000石を与えて旗本とした。その所領は南条郡の白崎・清水・牧谷、今立郡の上大坪・萱谷・大手・西尾(幕府領と相給)の計7村であった。
旗本の中でも3000石以上、1万石未満の非役の者を交代寄合と呼ぶが、左京家はそのうちの交代寄合表御礼衆に属した。これは、幕府が元大名家の名跡保持を目的に設置した万石並の格式で、大名と同等に参勤交代を義務づけられていた。したがって左京家は隔年交代で江戸に出仕し、家臣は三田魚籃下にあった江戸屋敷と白崎村の陣屋とを交代で勤務した。
1868年(慶応4)北陸道鎮撫使下向の際、所領は福井藩に預けられた。その後、所領は一旦返却されたようであるが(69.1.17付家譜によれば、西尾・郡上領のほか旗本領では本多家のみ返却が確認できる)、70.6.10にはあらためて金森左京ほか6人の旧采地の取締りが福井藩に命じられており、同年12月の本保県成立の際、他の福井藩預地とともに同県に属した。
資料群の概要
当家文書は、(1)長近宛の書状や近世初期の白崎村金剛寺田地縄入に関する文書をはじめ、当家の相続・縁組にかかわる私文書、(2)1759年(宝暦9)の所領替にともなう本保代官との引継関係文書、(3)江戸後期の貢租・財政・家臣団統制に関する文書、(4)明治初年の所領消滅の際の文書などに大別される。
このうち(3)では、たとえば1856年(安政3)「家中知行分限規定」では、58人で編成される家臣団の構成、なかでも金森本家に代々仕え、後に分家左京家の付人となった旧家臣が家老・年寄役となり家臣団の中心にいたことなどがわかり、ほかに家中の家格・禄高・役料に関する規定が記されている。また60年(万延1)「家政方規定書」には諸士以上の勤向心得・手当・居屋敷地割などが詳細に記されており、ともに全国的にも珍しい旗本家法とされる(『通史編4』)。当家文書は、冊子体は解体し、一紙ものも纏めるなどして張り継ぎ、ほとんどのものが軸装されている。
否撮カードは約30点で、年不詳文書や前後の欠落文書などのほか、「日記」(安政4-慶応4、筆写本1冊)、「源氏物語」「大坪流馬之絵図」「先祖物語」「生花説明書」「奇術秘伝」「仏蘭西国条約并税則」などがある。
利用条件
 
県史収載
資料編6 P.103-134 13点、通史編3 P.75、通史編4 P.28・P.538
県史以外の収載
 
複製本番号
E0253~E0262
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。