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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
E0025
資料群名
田中甚兵衛家文書
地域(近世,行政村,現在)
南条郡千福村,神山村千福,越前市千福町(武生市)
資料の年代
1632年(寛永9)~1916年(大正5)
資料目録件数
91
組織歴および履歴
千福村は府中町の西南、妙法寺山の北に位置する。1606年(慶長11)頃の越前国絵図にある「五ケ村千福」に含まれていたと推定されており、正保郷帳・天保郷帳ともに929石余。はじめ福井藩領、86年(貞享3)からは幕府領となり、1758年(宝暦8)以降美濃国郡上藩領となった。郡上藩領のうち丹生郡・南条郡の18村を管轄する陣屋は当村内に設置されていた。58年の「諸色明細帳」によると家数44・人数191、1878年(明治11)の調査では戸数56・人口259となっている(『南条郡誌』)。
田中家は甚兵衛を名乗り、江戸期には村役人を勤め、明治期には戸長、農家組合長、千福信用購買組合長等を歴任した。同村内の白山神社内には「田中甚兵衛碑文」がある。
田中家は甚兵衛を名乗り、江戸期には村役人を勤め、明治期には戸長、農家組合長、千福信用購買組合長等を歴任した。同村内の白山神社内には「田中甚兵衛碑文」がある。
資料群の概要
調査・撮影資料は91点。(1)土地・年貢関係、(2)用水関係、(3)村秩序・出入関係、(4)絵図、(5)その他に大別できる。
(1)には1632年(寛永9)の「千福村内検之寄之帳」から1876年(明治9)の「地租改正原調簿」まで土地関係の資料が多く残されている。年貢関係では1762年(宝暦12)から1839年(天保10)までの「年貢納通」が5冊残されている。
(2)には井部用水に関する文書が、44年(天保15)の千福村他12ケ村による用水締証文の他、89年(明治22)まで13ケ村組合による取り決めなどが残されている。
(3)には高札之留の他、賭博による詫証文や庄屋であった甚兵衛と惣百姓による出入関係の文書がある。(4)には千福村の絵図が3枚、近隣の村々の小全図が1枚、井部用水絵図面が1枚残されている。(5)には借用証文・土地売券の他、明治期の小学校の卒業証書、小学課業表、池坊免許状などがある。
否撮カードは千福村関係絵図や借用証文・土地売券など41枚。『武生市史』に収載されている「井部用水締証文」は「井部用水掘割書本保大口用水書物有増写書」の中に確認できるが、その他の「千福陣屋敷地等引地覚写」等の文書は否撮カードでも確認できない。
(1)には1632年(寛永9)の「千福村内検之寄之帳」から1876年(明治9)の「地租改正原調簿」まで土地関係の資料が多く残されている。年貢関係では1762年(宝暦12)から1839年(天保10)までの「年貢納通」が5冊残されている。
(2)には井部用水に関する文書が、44年(天保15)の千福村他12ケ村による用水締証文の他、89年(明治22)まで13ケ村組合による取り決めなどが残されている。
(3)には高札之留の他、賭博による詫証文や庄屋であった甚兵衛と惣百姓による出入関係の文書がある。(4)には千福村の絵図が3枚、近隣の村々の小全図が1枚、井部用水絵図面が1枚残されている。(5)には借用証文・土地売券の他、明治期の小学校の卒業証書、小学課業表、池坊免許状などがある。
否撮カードは千福村関係絵図や借用証文・土地売券など41枚。『武生市史』に収載されている「井部用水締証文」は「井部用水掘割書本保大口用水書物有増写書」の中に確認できるが、その他の「千福陣屋敷地等引地覚写」等の文書は否撮カードでも確認できない。
県史収載
 
県史以外の収載
『武生市史』、『福井県南条郡誌』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
E0244~E0252
関連資料一覧
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