服部與兵衛家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
E0005
資料群名
服部與兵衛家文書
地域(近世,行政村,現在)
南条郡向新保村,今立郡北日野村向新保,越前市向新保町(武生市)
資料の年代
1624年(寛永1)~1893年(明治26)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
向新保村は日野山北西麓、日野川中流右岸に位置する。はじめ福井藩府中本多氏知行所、1686年(貞享3)から幕府領。なお「御支配所村々巨細書 五」(石井左近家文書 M-231)によれば、1861年(文久)鞠山藩で、近江高島郡の6村3039石余と近江・安房国にて込高共4049石余の村替えがあり、このうちの安房国三か村高1806石余は、69年(明治2)夏さらに上地となり、同年11月代地として、南条郡の阿久和村、中小屋村、鋳物師村、上平吹村、向新保村、東谷村が下され、ただし東谷村のほか5か村は相給であったとある。であれば、本村は、明治1年幕府領から福井藩預領となり、同2年一部が鞠山藩領となり、この分は同3年9月小浜藩に合併され廃藩を迎える。一方福井藩預領の分は同年12月本保県となる。そして同4年11月敦賀県の成立によりともに同県に含まれることになる(現時点では傍証なし)。なお、同村は南条郡に属したが、明治22年4月以降は今立郡の北日野村に属した。
当家は同村の服部孫左衛門家とともに庄屋など村役を務めた旧家で、当村が字松ケ鼻から日野川の水を取水して右岸一帯の20数か村、約1140町歩の広大な田地を潅漑する松ケ鼻用水の取入口として知られることから、この用水関係の文書を多く伝えている。
資料群の概要
当家文書は前述のように用水関係に特色があり、ほかに1646年(正保3)の郷帳写、1708年(宝永5)の水帳写や、割付・皆済状などの年貢関係資料など大部分が近世文書である。
用水関係資料は、1638年(寛永15)の用水江代米に関するものをはじめとする水論関係資料がほとんどで、(1)取水口をめぐって隣接する中平吹・下平吹両村との地境争論、(2)日野川右岸の護岸となる岩刎(ハネ)をめぐって対岸の行松・松森両村との紛争、(3)用水下流の畑・小野谷・矢放の諸村との紛争や、矢船・帆山両村との江料米に関する紛争、(4)日野川下流の上市・平出・北府・家久の諸村との紛争などがみられる。
たとえば(1)の争論は、1690年(元禄3)中平吹村の農民が松ケ鼻地籍に無断で鍬を入れたことを直接のきっかけとして争論が発生し、96年に江戸出訴に発展したが、やがて99年に幕府の裁許が下っている。94年(元禄7)「村中相究申証文之事(地境争論江戸吟味ニ付村究証文)」などによれば、当村にとって、取水口を自村地籍におくことはきわめて重要なことのようで、出訴に際しては村民一同の堅い結束がなされたことがわかる。
否撮カードは1851年(嘉永4)「御頼母子講勘定帳」、1708年(宝永5年写)「南条郡向新保村水帳」、1716年(正徳6)「向新保村未御年貢小物成米金取立帳」の3冊分のみ。
利用条件
 
県史収載
資料編6 P.257-270 7点
県史以外の収載
『武生市史』 『松ケ鼻用水沿革史』
複製本番号
E0047~E0054
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。