水島伝左衛門家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
D0043
資料群名
水島伝左衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
丹生郡織田村,織田村織田,越前町織田(織田町)
資料の年代
1575年(天正3)~1575年(天正3)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
当家については未詳。当家の所在する織田町上野(現織田町織田の内)は、中世の織田庄内の名の1つであった。
資料群の概要
1575年(天正3)8月6日付の織田信長の諏訪三郎宛の朱印状1点のみである。織田信長は、越前一向一揆を平定するため、同年8月14日敦賀に着陣。翌15日より陸(木の芽峠)・海(河野海岸)より侵攻して各地の一向一揆を潰滅する。これより先、信長は、越前国内の反一向一揆の諸勢力を味方につけるべく種々画策していることは法雲寺文書・誠照寺文書によって知られるが、当家文書もそうした画策の1例であり、諏訪三郎は信長の侵攻に際して彼に忠勤を誓うとともに信長から本知に加えて、さらに脇本・杣山庄・平葺(吹)・西谷庄・畑・小野谷の新知分の給与を受けたのである。
なお、福井市佐野てる子家文書にも同様の彼宛の信長朱印状(同年8月14日付)が見られ、これには本知に加えて、西谷外山跡職・宅良谷一円の扶持の給与を明記している。また、同家文書により、諏訪三郎は信長の直臣で信長からの給付を受けていながら、府中三人衆の1人であった佐々成政のもとに与力として配置されたと考えられている。
後、諏訪三郎は成政の家臣となり、越中内に知行を与えられたが、1585年(天正13)の秀吉の成政征伐の後は前田利勝(長)に臣従することとなった。彼の子孫は大聖寺藩前田家の家臣となった。当家文書はこの諏訪三郎子孫に伝えられていたものと思われるが、当家に伝わった経緯は未調査で不明である。
利用条件
 
県史収載
資料編5 P.849 1点
県史以外の収載
『越前府中をめぐる戦国武将展』
複製本番号
D0327
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。