斎藤六兵衛家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
D0040
資料群名
斎藤六兵衛家文書
地域(近世,行政村,現在)
丹生郡清水畑村,志津村清水畑,福井市清水畑町(清水町)
資料の年代
1583年(天正11)~1880年(明治13)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
清水畑村は丹生山地東端の志津川上流域の谷間と扇状地に位置し、中世の志津荘内の一村であった。
枝村の平尾村と合わせて688石余。江戸時代を通じて福井藩領。村内は清水畑垣内と平尾垣内からなる。村内を貫いて福井城下と大味浦とを結ぶ安居往来が通じていた。
当家は近世以前から続いているとのことで、盛時には約500の石高であったという。1797年(寛政9)、福井藩主松平重富子息の治好が浦方・鷹野場に巡覧の際、当家を本陣、昼休所とし、その際の功により当家当主は袴縁上を許されている。また、1844年(天保15)にも袴縁上を許されている。
当家当主は少なくとも近世後半からは清水畑村の庄屋を務めることが多く、長百姓や惣代を務めたこともある。
資料群の概要
撮影文書は、1583年(天正11)の羽柴秀吉・丹羽長秀の禁制(写)を初出とし、その大部分が18世紀中ころから19世紀中ころのものである。村方文書が大半で、宛先が明記してあるもののうち、郡奉行や山奉行など奉行宛には家再建・開畑・雪折等に関する伐木願、末村開田・新江筋等に関する利水の願・報告、下行米願・見取米引下願・拝借銀延納等の貢租負担軽減願関係、村人に関する追放御免願・養子願・欠落記入願・雑家畑作願・借銀返済願、当家の御膳所仰付願・お目見願、当家と小前間の訴訟等がある。また、郡奉行や奉行所・評定所等に宛てている安永期(18世紀中ころ)の10年余をかけた白滝村との山論関係がある。
代官宛のものは、免引願、下行米増願、冬励・山剥開畑等による拝借銀・拝借米願等で件数は撮影文書のなかでは奉行宛のものより少ない。
その他は、御物成銀米納方本通・作難見分方下帳・川除銀道銀鷹餌銀受取本通等の貢租関係、白山宮・加茂大明神の普請・神事祭礼関係、安居の渡舟関係、治好の浦方・鷹野場巡覧関係、村に関する高・小前関係、新住人請状・喧嘩内済証文・頼母子講・村送証文・江堀証文等の他、異国船警戒人夫関係、生糸品質関係、村役人入札一札など村役関係、光養寺寺檀争論関係、私文書として嫁入り道具返納・去状関係等がある。
近代のものは少ない。明治初期の皆済状関係、1880年(明治13)ころまでの世帯覚(記)等である。
特異なものとして、御条目を滑稽化した「従御洗濯所蚤蚊虱三ケ仲間へ御条目」がある。
否撮カードは41点で、借銀証文、宗門改、坪付関係、名寄帳、山方条目、宮普請・神事祭礼関係、巡覧御膳所御免願など近世の資料である。『清水町史』(1979)に当家文書の一部が紹介されているが、上記の調査・撮影文書中には見あたらないものがある。
利用条件
 
県史収載
資料編5 P.928-950 9点、通史編4 P.602・P.753
県史以外の収載
『福井県古文書所在調査報告書』 『清水町史』
複製本番号
D0264~D0284
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。