野村志津雄家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
D0037
資料群名
野村志津雄家文書
地域(近世,行政村,現在)
丹生郡天谷村,糸生村天谷,越前町天谷(朝日町)
資料の年代
1515年(永正12)~1884年(明治17)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
天谷村は、丹生山地の越知川流域糸生谷にあり、江戸時代ははじめ福井藩領、1686年(貞享3)幕府領、1714年(正徳4)からは旗本小林氏知行地であった。村高は121石余である。小林氏は、知行高450石のうち、300石を武蔵国から丹生郡内に所領替され、その知行所は、当村をはじめ、別所・宿堂・下一光・水谷の5か村であった(別所村と下一光村は幕府領との割郷)。
当家は、代々三郎兵衛を名乗り、5か村の「頭分」の一人として大庄屋を務めた。明治に入ると、戸長・副戸長や、下糸生村他12か村連合会議員などを務めている。
資料群の概要
当家文書は、(1)中世文書、(2)小林領時代のもの、(3)近代のものに大別できる。
(1)のうち、1547年(天文16)の「(某裁許状案)」の裏書に署名している萩原宗俊は、「朝倉始末記」に朝倉教景(宗滴)の被官としてその名が見え、また「朝倉宗滴話記」の筆録者としても知られている。このことから、当地域は朝倉教景の支配下にあったと思われる。また、75年(天正3)「(柴田勝家定書)」・76年「(柴田勝家掟書)」からは、当村が「北山方五か村」の中心的集落であったことがうかがわれるが、他の4か村がどこかは判然としない。また、77年「(伏屋伝七等検地役人連署打渡坪付)」・「(天谷村百姓縄打地請文)」は、柴田勝家が実施した検地の具体的な状況を示す注目すべき資料であり、これを検討したものに先述の松浦義則氏の論文がある。
(2)では、年貢の免状・皆済状、大庄屋任命や趣法替に関する下知状、おろし作関係、御用金関係などの一紙文書のほか、反別改、高改、皆済目録控などの長帳類も撮影されている。また、1785年(天明5)の「(天谷村鉱泉湯掘入用人足覚帳)」は、小林氏の知行所支配と直接の関わりはないが、数少ない鉱泉の記録として貴重と思われる。
(3)では、戸長・副戸長の任命状や連合村会議員の当選状などが撮影されている。
資料編収載の年未詳「(某持分坪付)」と1843年(天保14)「(小林家役人下知書)」は、撮影文書のなかに見当たらなかった。理由は不明。
否撮カードは19点で、借金証文などの一紙文書のほかは普請入用帳などの長帳類である。
利用条件
 
県史収載
資料編5 P.426-454 38点 、 通史編2 P.395・575・654 、 通史編3 P.36・41 、 通史編4 P.22
県史以外の収載
松浦義則「柴田勝家の越前検地と村落」『史学研究』160号、牧野行治「越前における旗本領の成立について」『福井県史研究』創刊号、『丹生郡古文書目録』
複製本番号
D0253~D0255
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。