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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
D0027
資料群名
辻嘉左衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
丹生郡西田中村,朝日村西田中,越前町西田中(朝日町)
資料の年代
1598年(慶長3)~1884年(明治17)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
西田中村は朝日町の東部、東流する天王川が丹生山地から日野川の沖積平野部に流れ出る所の右岸に位置する。江戸時代を通じて幸若領であり、村高は606石余であった。村名ははじめ印内村。1700年(元禄13)の元禄郷帳では西田中村。
辻家は幕末期に長百姓・惣代などを、明治初年には西田中村の村長・惣代を務めた。
当家文書は県史編さんの調査後焼失した。まことに残念である。
辻家は幕末期に長百姓・惣代などを、明治初年には西田中村の村長・惣代を務めた。
当家文書は県史編さんの調査後焼失した。まことに残念である。
資料群の概要
当家は1598年(慶長3)の西田中村の検地帳のほか、近世の幸若氏関係・用水関係資料、明治期の戸籍関係資料など約300点を有し、県史はこのうち約110点を調査撮影したが、調査後間もなく焼失した。
撮影資料では幸若氏関係資料に特色がある。幸若家は代々幕府の音曲役を務めた家で、当村の弥次郎家(300石)・八郎九郎家(153石余・朝日村に76石余)・小八郎(153石余・朝日村に191石余)の三家が主要な家筋で、ほかに猪右衛門家(宝泉寺村に100石、ただし異動あり)、五郎右衛門家(敦賀津内町などに100石)があった。三家は西田中村に屋敷を構えていたが、明治維新で知行地が福井藩預りとなり、当主等は1870年(明治3)東京へ転出し、幸若屋敷地も72年には上地処分されている。近代資料として西田中村の72年「戸籍改帳」と84年「戸籍簿」があり、在郷町の戸籍として注目される。
否撮カードは明治期の西田中村の野取絵図・地籍図など4点のみ。資料編5の解題によると、当家文書は約300点でこのうち約4割は明治期のものとある。撮影文書が近世74点、明治期35点であるから、カードを作成しなかった文書が近世、明治期それぞれ100点ほどあったことになる。
撮影資料では幸若氏関係資料に特色がある。幸若家は代々幕府の音曲役を務めた家で、当村の弥次郎家(300石)・八郎九郎家(153石余・朝日村に76石余)・小八郎(153石余・朝日村に191石余)の三家が主要な家筋で、ほかに猪右衛門家(宝泉寺村に100石、ただし異動あり)、五郎右衛門家(敦賀津内町などに100石)があった。三家は西田中村に屋敷を構えていたが、明治維新で知行地が福井藩預りとなり、当主等は1870年(明治3)東京へ転出し、幸若屋敷地も72年には上地処分されている。近代資料として西田中村の72年「戸籍改帳」と84年「戸籍簿」があり、在郷町の戸籍として注目される。
否撮カードは明治期の西田中村の野取絵図・地籍図など4点のみ。資料編5の解題によると、当家文書は約300点でこのうち約4割は明治期のものとある。撮影文書が近世74点、明治期35点であるから、カードを作成しなかった文書が近世、明治期それぞれ100点ほどあったことになる。
県史収載
資料編5 P.337-341 4点、通史編2 P.1050
県史以外の収載
『朝日町誌』『福井県古文書所在調査報告書』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
D0203~D0207
関連資料一覧
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