山岸長家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
D0020
資料群名
山岸長家文書
地域(近世,行政村,現在)
丹生郡赤井谷村,萩野村赤井谷,越前町赤井谷(織田町)
資料の年代
1518年(永正15)~1598年(慶長3)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
赤井谷は、織田盆地の北西部に位置し、中世には丹生郡織田庄の一部であった。室町後期、織田庄は、本所・料所・神領に分けられ、それぞれ山門・朝倉氏・劒神社に支配されていた。赤井谷は本所方にふくまれる。江戸時代には、はじめ福井藩領、1645年(正保2)松岡藩領、1721年(享保6)再び福井藩領となる。村高は339石余であった。
山岸氏の先祖は府中の紺屋の支配のもとで丹生北郡の紺屋中を管轄する地位にあったことが知られている。
資料群の概要
当家文書の多くは、宮川満『太閤検地論』第Ⅲ部に収められており、中世後期の荘園の土地制度やその基礎をなしていた名をめぐる領主の対応を示す貴重な資料として全国に知られている。
当家文書について注目されるのは次の3点であろう。
第1は、山岸氏先祖の紺屋中の管轄に関しての文書で、これは府中と在地の商工業者との関係についての貴重な事例である。
第2は、名主の本役未進・逃亡などが原因となっておこる散田化に対して領主がその散田分諸済物を「番中」に負担させたり、あるいは「名立」を行っていることを示す文書で、これからは名制度の解体化に対する領主の対応を知ることができる。
第3には、「織田庄内指出帳」と「織田庄公事納帳」によって土地制度や年貢・公事納入の実体をうかがうことができる。ただし、この両帳ともかなり複雑で難解な資料であるため種々の議論がある。両帳を使った研究としては、山本孝衛「織田庄の分数名と散田」(『若越郷土研究』6の2)、宮川満「室町後期の土地関係」(『中世社会の基本構造』)、古田憲司「戦国時代織田庄に出現した散田について」(『中世日本の歴史像』)、河村昭一「戦国大名朝倉氏の領国支配と名体制」(『史学研究』123、『中部大名の研究』に再録)、神田千里「越前朝倉氏の在地支配の特質」(『史学雑誌』89-1、『中部大名の研究』に再録)などがある。両帳とも年代は不詳であるが、古田氏は、「指出帳」は永正の末期から天文期、「公事納帳」は「指出帳」の数年後に作成されたと推定している。
なお、資料編解題によれば、当家には近世の売券なども伝来するという。ただし調査カードなどは見あたらない。
利用条件
 
県史収載
資料編5 P.850 14点 、 通史編2 P.577・667・670・672・793・955
県史以外の収載
宮川満『太閤検地論』、福田千里「越前朝倉氏の在地支配の特質」『中部大名の研究』、古田憲司「戦国時代織田庄に出現した散田について」『中世日本の歴史像』
複製本番号
D0144
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。