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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
D0018
資料群名
田中甚助家文書
地域(近世,行政村,現在)
丹生郡樫津村,宮崎村樫津,越前町樫津(宮崎村)
資料の年代
1597年(慶長2)~1880年(明治13)
資料目録件数
254
組織歴および履歴
樫津村は丹生山地に位置し、四方を山に囲まれる。村高は721石余、はじめ福井藩領、1686年(貞享3)幕府領、97年(元禄10)高森藩領(紀州徳川光貞次男頼職領3万石)、1705年(宝永2)以降幕府領。
田中家は福井藩領時代から組頭役にあり、高森藩領時代も樫津組29か村(高8264石余)の組頭であり、幕府領にもどったのちも組頭役などを務めている。当家の所持高は、133石余(貞享2)、92石余(享和3)、120石余(天保11)であり、1704年(宝永1)には下河原村で12、3町余の新田開発を計画し、溜池普請にとりかかり、翌05年閏4月には溜池1か所と3町程の田畑を開いた。この費用に対し、高森藩からの支援はなく他借によるもので、当初の見積もりを超えたこともありさらなる田畑の開発を断念している。
田中家は福井藩領時代から組頭役にあり、高森藩領時代も樫津組29か村(高8264石余)の組頭であり、幕府領にもどったのちも組頭役などを務めている。当家の所持高は、133石余(貞享2)、92石余(享和3)、120石余(天保11)であり、1704年(宝永1)には下河原村で12、3町余の新田開発を計画し、溜池普請にとりかかり、翌05年閏4月には溜池1か所と3町程の田畑を開いた。この費用に対し、高森藩からの支援はなく他借によるもので、当初の見積もりを超えたこともありさらなる田畑の開発を断念している。
資料群の概要
調査点数は約500点、このうち約250点を撮影した。
当家の撮影資料は年未詳の豊親書状を除き1598年(慶長3)の樫津村太閤検地帳を初出とし、享保期ころまでのものを中心とする。内容は(1)太閤検地をはじめとする土地関係、(2)新田開発関係、(3)土地境出入り、(4)樫津組関係・組明細帳・村絵図類、(5)年貢関係、(6)替地証文・永代売渡証文・一作売渡証文類、(7)田中家の書置、過去帳、高目録、などに分けられる。
新田開発をはじめとして、元禄から宝永にかけての諸証文類などの高森藩時代の資料は、県内には少なく貴重である。用水による灌漑が主流を占め、新開がほとんどみられない越前において、この溜池による田畑開発は特異なものである。また、田中甚助書置は1685年(貞享2)と早く、全19か条にわたり地主としての家存続を目標としたもので、当時の道徳観・信仰・処世訓などを知ることができ興味深い。
否撮資料は質入・借用証文や売券類が主で、このほか奉公人請状、寺送証文、書願書類、郷帳などがある。
当家の撮影資料は年未詳の豊親書状を除き1598年(慶長3)の樫津村太閤検地帳を初出とし、享保期ころまでのものを中心とする。内容は(1)太閤検地をはじめとする土地関係、(2)新田開発関係、(3)土地境出入り、(4)樫津組関係・組明細帳・村絵図類、(5)年貢関係、(6)替地証文・永代売渡証文・一作売渡証文類、(7)田中家の書置、過去帳、高目録、などに分けられる。
新田開発をはじめとして、元禄から宝永にかけての諸証文類などの高森藩時代の資料は、県内には少なく貴重である。用水による灌漑が主流を占め、新開がほとんどみられない越前において、この溜池による田畑開発は特異なものである。また、田中甚助書置は1685年(貞享2)と早く、全19か条にわたり地主としての家存続を目標としたもので、当時の道徳観・信仰・処世訓などを知ることができ興味深い。
否撮資料は質入・借用証文や売券類が主で、このほか奉公人請状、寺送証文、書願書類、郷帳などがある。
県史収載
資料編5 P.500-516 10点、通史編4 P.31・P.169・P.179・P.200・P.204・P.363・P.393・P.394・P.403・P.407・P.437
県史以外の収載
『福井県古文書所在調査報告書』 『丹生郡古文書目録』 『宮崎村誌』 『福井県丹生郡誌』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
D0134~D0140、D0710
関連資料一覧
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