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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
D0015
資料群名
上坂国昭家文書
地域(近世,行政村,現在)
丹生郡大王丸村,織田村大王丸,越前町大王丸(織田町)
資料の年代
1687年(貞享4)~1865年(慶応1)
資料目録件数
207
組織歴および履歴
大王丸村は織田盆地にあり、織田村の西に位置する。1528年(享禄1)11月28日付劔大明神寺社領納米銭注文(劔神社文書)に「織田大明神社納分」として「六斗 大王丸」と記され、中世は劔大明神領に含まれていた。1606年(慶長11)頃の越前国絵図では、「大田庄」に含まれ、村高は「正保郷帳」によれば田方136石余、畠方23石余の159石余で、江戸時代を通じて変わらなかった。はじめ福井藩領、24年(寛永1)福井藩と勝山藩の相給となり、44年(正保1)福井藩と幕府領福井藩預りの相給、翌45年(正保2)から吉江藩領と福井藩預り地となるが、74年(延宝2)再び福井藩預と福井藩預り地に戻り、86年(貞享3)以後全村幕府領となった。
下山中・四ツ杉・大王丸の3ケ村は、江戸時代を通じて、織田・中・三崎の大野藩領3ケ村を相手に林河内をめぐって、激しい争論を繰り返していた。
当家は代々仲右衛門と称し、大王丸村の村役人を勤めた。
下山中・四ツ杉・大王丸の3ケ村は、江戸時代を通じて、織田・中・三崎の大野藩領3ケ村を相手に林河内をめぐって、激しい争論を繰り返していた。
当家は代々仲右衛門と称し、大王丸村の村役人を勤めた。
資料群の概要
調査・撮影資料は207点。反別帳などの長帳類と免状・皆済状などの一紙文書に大別することができるが、すべて村方文書であり、支配関係が複雑であった大王丸村の江戸時代を通じた村の様子がよくわかる資料群である。
長帳類では、反別帳のほかに年貢勘定帳、小割帳、差出明細帳、指出帳、宗門人別改帳、五人組帳などがあり、1695年(元禄8)の五人組帳から大王丸村が「笹谷組」に属していたことがわかり、1747年(延享4)の指出帳からは「上天下組」に組みこまれていたことがわかる。
一紙文書のほとんどは年貢免状や皆済状で、割付目録が1689年(元禄2)から1865年(慶応1)まで61点、勘定目録が1687年(貞享4)から1749年(寛延2)まで29点、皆済目録が50年(寛延3)から1865年(慶応1)まで89点とまとまって残されており、年貢関係の研究のために貴重であるとともに、代官の名前から支配関係がわかる資料である。
その他、三崎村との地堺争論に関する願書類が残されている。
否撮カードは19枚で、ほとんどが借用証文である。
長帳類では、反別帳のほかに年貢勘定帳、小割帳、差出明細帳、指出帳、宗門人別改帳、五人組帳などがあり、1695年(元禄8)の五人組帳から大王丸村が「笹谷組」に属していたことがわかり、1747年(延享4)の指出帳からは「上天下組」に組みこまれていたことがわかる。
一紙文書のほとんどは年貢免状や皆済状で、割付目録が1689年(元禄2)から1865年(慶応1)まで61点、勘定目録が1687年(貞享4)から1749年(寛延2)まで29点、皆済目録が50年(寛延3)から1865年(慶応1)まで89点とまとまって残されており、年貢関係の研究のために貴重であるとともに、代官の名前から支配関係がわかる資料である。
その他、三崎村との地堺争論に関する願書類が残されている。
否撮カードは19枚で、ほとんどが借用証文である。
県史収載
 
県史以外の収載
『織田町史』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
D0117~D0120
関連資料一覧
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