刀禰治衛家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
D0012
資料群名
刀禰治衛家文書
地域(近世,行政村,現在)
丹生郡左右浦,上岬村左右,越前町左右(越前町)
資料の年代
1835年(天保6)~1868年(明治1)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
左右浦は、越前岬の北に位置する。江戸時代ははじめ福井藩領、1686年(貞享3)から幕府領。村高は63石余、うち田方3石・畑方60石余の小村。刀禰家は中世には刀禰職を有した家柄であったと思われる。近世には庄屋役を務め佐藤五郎を称したが、刀禰を通称とし、当浦の3名の親方の1人であった。
資料群の概要
当家の撮影資料はすべて近世後期の資料で、親方・小方関係を示す資料のほか、年貢割付・皆済状や由緒書などがある。
1855年(安政2)「親方小方取替規定書」によると、当村高63石余は親方3人限りの所持地で、小方に作地などを渡す場合もあるが、小作徳米は取立てない。そのかわり、当村は農事のみでは渡世できないから小方は残らず漁業に励むが、その際、漁船漁具は親方が仕立てて宛行、漁獲の2割を口銭として引き落とすというのが「旧法」だという。ところが親方からみると、近年「渡世安堵に任せ小前の者共旧格を潰し漁具を自己に取扱い、手船を仕立て漁業を勝手に取計い、漁魚を悉く隠し売」り「旧法」を乱す者がでてきたので、小方19人に対して、「古法通りに復古仕る可き哉、又は改て銘々宛行請候作地を残らず私共へ差戻し」「私共より一作請の小作地・山稼地取極、相当の小作米・山手米銭差出候様致す可き」とせまり、結局、口銭を1割8分に減じるものの、旧法にそって改めて規定し直すことで落着している。この資料は親方・小方の関係を親方の立場から述べたものであるが、中世から続いたとも考えられる隷属関係がようやく幕末に至って弛緩しはじめたことを示す資料でもある。
しかし、1845年(弘化2)「鯔網規定書」は新規の鯔網についての親方・小方の利権を示すものであり、55年(安政2)「船澗役銀改帳」も3人の親方が所有する船揚澗の規模・役銀を記載したものであり、とくに54年(嘉永7)「左右浦宗門人別帳」では持高が3人の親方に集中し、船揚澗・漁船・蔵も親方のみが所有していることが記載されているなど、3人の親方の強い力を示す資料は多い。
否撮カードは約40点で、すべて近世後期の資料で、鯔網や雲丹売立てなどのほか、村入用の割方帳や年貢皆済割方帳・郡中村盛割方帳など庄屋文書の長帳類が大半を占める。
利用条件
 
県史収載
資料編5 P.661-676 5点
県史以外の収載
『越前町史』
複製本番号
D0055
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。