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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
D0006
資料群名
木下伝右衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
丹生郡大樟浦,四箇浦村大樟,越前町大樟(越前町)
資料の年代
1598年(慶長3)~1932年(昭和7)
資料目録件数
416
組織歴および履歴
大樟浦は畑地のみ50石余の漁村で、はじめ福井藩領、1624年(寛永1)大野藩領、33年丸岡藩預領、35年再び大野藩領であった。隣村の小樟浦とともに、同藩の海への出口であったため、幕末には海防や蝦夷地「開拓」の基地として重要視された。人口は1733年(享保18)では45軒、234人、1868年(慶応4)では66軒、362人であった。
当家は代々伝右衛門を名乗り、1678年(延宝6)にはすでに酒造業を営んでいた。18世紀半ばから、同浦庄屋、寛政期以降西方領の大庄屋も務めていた。
当家は代々伝右衛門を名乗り、1678年(延宝6)にはすでに酒造業を営んでいた。18世紀半ばから、同浦庄屋、寛政期以降西方領の大庄屋も務めていた。
資料群の概要
約420点の撮影資料は(1)浦方庄屋文書、(2)大庄屋文書、(3)酒造関係、(4)明治期戸長役場文書に大別される。
(1)は太閤検地帳、詳細な内容をもつ村法類、文政期以降の皆済目録など年貢関係帳簿類、宗門人別改帳、願書類の下書・控(「書通下書留」)、漁業関係の海境争論、手繰網漁をめぐる争論文書などが含まれる。
(2)大庄屋文書では西方領の諸盛帳など年貢関係、大野藩の財政補填のための講取立帳などの帳簿類は、サンプル的に数点撮影されている。一紙文書には、西方村々の拝借銀や用水・宿駅争論などの願書とともに、代官からの幕末の海防関係、大野藩札貸付など大部の書状が含まれ、大野藩における西方領の果たした役割を知ることができる。
(3)には酒造米石高人別帳、酒造役米・休株などについての願書が含まれる。
(4)には1872年(明治5)・73年の布令留帳、明治10年代の大樟浦役場文書の一部が残っている。
否撮資料は一括も含めて約700点と膨大である。このうち長帳類は約200点で、大半が19世紀以降の年貢取立帳、各種の講通、大野藩西方領の諸盛帳・年賦取立帳などである。願書類下書・控の留帳も含まれている。
願書類・借銀証文・覚などの一紙文書は約300点で、これとは別に書状が約200点あり、大野藩の代官からのもの、大庄屋間のものが多い。
(1)は太閤検地帳、詳細な内容をもつ村法類、文政期以降の皆済目録など年貢関係帳簿類、宗門人別改帳、願書類の下書・控(「書通下書留」)、漁業関係の海境争論、手繰網漁をめぐる争論文書などが含まれる。
(2)大庄屋文書では西方領の諸盛帳など年貢関係、大野藩の財政補填のための講取立帳などの帳簿類は、サンプル的に数点撮影されている。一紙文書には、西方村々の拝借銀や用水・宿駅争論などの願書とともに、代官からの幕末の海防関係、大野藩札貸付など大部の書状が含まれ、大野藩における西方領の果たした役割を知ることができる。
(3)には酒造米石高人別帳、酒造役米・休株などについての願書が含まれる。
(4)には1872年(明治5)・73年の布令留帳、明治10年代の大樟浦役場文書の一部が残っている。
否撮資料は一括も含めて約700点と膨大である。このうち長帳類は約200点で、大半が19世紀以降の年貢取立帳、各種の講通、大野藩西方領の諸盛帳・年賦取立帳などである。願書類下書・控の留帳も含まれている。
願書類・借銀証文・覚などの一紙文書は約300点で、これとは別に書状が約200点あり、大野藩の代官からのもの、大庄屋間のものが多い。
県史収載
『福井県史 資料編5 中・近世三』P.593-626 10点、 『福井県史 通史編3 近世一』P296・319、『福井県史 通史編4 近世二』P.179・251・252・496・497、『福井県史 通史編5 近現代一』P.76・77・294
県史以外の収載
『越前町史』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
D0068~D0102
関連資料一覧
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