相木邦英家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
D0005
資料群名
相木邦英家文書
地域(近世,行政村,現在)
丹生郡新保浦,四箇浦村新保,越前町新保(越前町)
資料の年代
1658年(万治1)~1949年(昭和24)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
新保浦は、越前海岸のいわゆる「四か浦」のうち最も南に位置し、南隣の小樟浦との境に枝村城ケ谷浦がある。福井藩領で高35石余はすべて畑方。1789年(寛政1)の家数32(ほか城ケ谷15)、人数117(ほか城ケ谷89)、反別2町3反、商船4・漁船7で、船役銀182匁、肴役銀106匁、網役銀148匁を負担している。
相木家は1653年(承応2)に小曾原村(丹生郡宮崎村)から当浦に移住したことに始まり、丹生郡内の福井・松岡・大野各藩領の貢租米の取扱いや、廻船業を営んで財をなした。また代々親方として漁業を経営するとともに当浦の村役人を務めてきた。
資料群の概要
撮影資料は約300点で、うち近世資料約100点、近現代資料約200点である。
近世資料では、大名の借銀証文や廻船業の勘定帳などの商業資料、網場・漁村支配などについての争論関係を中心とする漁業資料、福井藩の物成銀納方本通などの貢租関係資料などがある。1682年(天和2)の松平大野藩の銀借用証文では、明石に移ったあと返済すると約束しており、この銀が明石への転封にあたっての路銀に使用されたものと思われる。1701(元禄14)の相木芳仲遺言状によると、福井藩に59貫、松岡藩に30貫用立てているが、福井藩の場合は理不尽に申し掛けられたと記している。
また「儲留帳」は、1697年(元禄10)に当家の又兵衛が親から130石積、6人乗りの「はがせ船」、金45両相当を預けられ、艫取や水主4人とともに、自ら船頭として乗込んだときのもので、1702年までの6年間の運航先、取扱い商品などが記録され、当時の北国海運の典型的な様子を知ることができる。
つぎに、1784年(天明4)「乍恐再返答書を以奉申上候」は同3年に四か浦の笊振り3人が小浜湊で買い求めた素麺20箱を在方に売りに出て、河野馬借の帰り馬を利用したため、河野三宿の馬借と出入に及んだときの返答書であるが、その中に、四ケ浦から福井へ九里、府中へ六里といわれる丹生山地の嶮道を越えての、浦方の背持・棒手振の行商が盛んな様子が記されている。親方の強力な人的支配を軸とした漁村支配の様子は、口べらしのための養子・奉公人に関する資料でも明らかであるが、さらにその支配をめぐって争論の絶えなかった城ケ谷「反り子」関係資料は、親方支配の強大さと、一方でその崩壊が近づいてきたことを示している(相木惣兵衛家・片岡五郎兵衛家文書参照)。
近現代資料では、郡達、村会議案書など、明治10年代を中心に、三新法体制下の戸長役場の簿冊類が比較的まとめて撮影されており、当時の戸長役場の機能や、漁村の実態についての情報が多く含まれている。ただし、一部簿冊類が部分撮影されているのが残念であり、利用上注意を要するところである。
否撮カードは近現代分約100点、近世分約20点で、内容は、近現代では地租改正関係簿冊類、区の盛帳、各種講関係書類など、近世では証文類、1779年(安永8)以降の香典帳48冊などである。
利用条件
 
県史収載
資料編5 P.527-556 17点、通史編3 P.182 P.250、通史編4 P.262 P.277-281 P.419 P.434-437
県史以外の収載
『越前町史』
複製本番号
D0032~D0040、D0060~D0067
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。