安養院文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
C0505
資料群名
安養院文書
地域(近世,行政村,現在)
坂井郡井江葭村,芦原村井江葭,あわら市二面(芦原町)
資料の年代
1598年(慶長3)~1855年(安政2)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
安養院は真宗高田派。坂井郡春江郷松木村(春江町)の輪興寺が、高田専修寺3世顕智の教化によって真宗に改宗し、専光寺と改号したと伝え、のちに新郷に移り(芦原町角屋に寺跡がある)、新郷松木の専光寺と呼ばれた。
その後15世紀初頭に、高田専修寺(三重県津市)の住持職をめぐって越前の真智と伊勢の応真が争った時、勝慢寺・西光寺・専西寺とともに、真智を擁立する越前大坊4か寺の1寺となった。
天正末年、真智方の熊坂専修寺が没落すると共に、専光寺も廃寺となり、その名跡が安養院となって家吉(井江葭)村に移った。しかし、当寺資料、1608年(慶長13)「謹而言上」によれば、専光寺屋敷は専修寺末寺5か寺が支配したらしい。
1948年(昭和23)の福井地震を機に二面に移転した。
資料群の概要
当寺の資料は、1598年(慶長3)の太閤検地後に溝江長俊が寺地を寄進した際の寄進状など、溝江氏に関係する文書が中心である。因みに、溝江氏は朝倉旧家臣であったが、織田信長に帰順したあと、74年(天正2)2月、一向一揆に襲撃されて、溝江長逸ら一族は滅亡した。しかし、その子長澄だけは逃れて、後に豊臣秀吉の家臣となり、98年、1万石を領して金津城主となった。
否撮カードはないので、伝存する資料をすべて撮影したと思われる。ただし、「過去帳」は撮影指示カードに「最古のもの1冊だけ撮影」とある。
利用条件
 
県史収載
資料編4 P.404-406 4点、通史編2 P.999 P.1011
県史以外の収載
 
複製本番号
C1172
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。