上坂伊右衛門家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
C0095
資料群名
上坂伊右衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
坂井郡細呂木村,細呂木村細呂木,あわら市細呂木(金津町)
資料の年代
1598年(慶長3)~1863年(文久3)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
細呂木村は、北潟湖の東岸、蓮浦村の西にあり、細呂木川(観音川)が北潟湖に流れ込む地点に位置する。古くは今道村と呼ばれ「正保郷帳」にもその名が見える。江戸期を通じて福井藩領。当村は北陸街道の宿駅に定められており、金津宿まで1里24町余、加賀国境まで23町余であった。村高は「正保郷帳」「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに652石余。森藤右衛門家文書(A0142)の「申年御物成銀米納方本通」(文書番号00316、00317)によると、村高の半分にあたる326石余は諸役が免除されていた。しかし、17匹の役馬を常置しており、公用の旅行者や荷物を無賃または公定賃銭で継送することが義務づけられていた。また、細呂木川の橋のたもとには、1601年(慶長6)に福井藩主結城秀康が設置した口留番所(関所)があり、加賀国への関門として、近江国への関門としての板取とともに最も重要視されていた。当番所は金津奉行の支配下にあった。
上坂家は中屋伊右衛門を名乗り、庄屋や村長などを務めた。当家の「諸事御触留帳」に庄屋として1870年(明治3)に国境の松の処分を行ったとある(『細呂木村誌』)が、撮影資料にはない。
資料群の概要
撮影資料は5点。1598年(慶長3)の検地帳、福井城下絵図、趣法講銀通などがある。
検地帳の村名は不明であるが、「溝江郷金津町」とあり、また村高が1349石3斗9升であることから、南金津村の検地帳ではないかと推察できる。また福井城下絵図も年不詳であるが、稲葉釆女や杉田織衛などの名があることから7代藩主吉品の時代のものと推測できる。
否撮カードはない。
利用条件
 
県史収載
 
県史以外の収載
『細呂木村誌』
複製本番号
C0893
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。