太田泰雄家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
C0073
資料群名
太田泰雄家文書
地域(近世,行政村,現在)
坂井郡泥原新保村,新保村新保,坂井市三国町新保(三国町)
資料の年代
1595年(文禄4)~1875年(明治8)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
道実家は、由緒書によればかつて朝倉氏を称し木部新保村に住んでいたが、泥原新保浦へ移住して網場の維持に尽力した。近世初期から北国筋との材木商売を行い、加賀・秋田・津軽などの藩から船役免許をうけていた。また、福井藩からも材木輸送を認められて、新保浦の代官職や領分船道奉行、のちには船切手渡役に任ぜられ、さらに1654年(承応3)竹田川と九頭竜川の合流する所にある中州のひとつである中の島の永代支配を許されたと伝えられる。中の島は道実家の支配となって以来道実島と称され、町家も建て込むようになった。道実家は、大庄屋を務めたこともあり、名字を許されていた。道実家に関しては、同浦の久末重松家文書に関連資料がある。泥原新保浦については、久末重松家文書(C0030)を参照のこと。
資料群の概要
当家文書は、由緒書に代表されるように道実島の由来とそれにかかわる道実家についてである。道実家については、1595年(文禄4)の阿古江(泥原新保浦)の猟場免許状をはじめ、船役免許状や船切手渡役の資料がある。また、道実家の支配となった道実島は1819年(文政2)に福井藩の御用地となり、地面代として米200俵が与えられた。1857年(安政4)道実家に返されたのちも、「御用地名目」として島内の汐見町の者との間で180俵の地子米が定められた。その後、66年(慶応2)に藩は島を「御下ケ」とし、地子米を汐見町住居の者との間で決めるように申し渡したが、折り合いがつかなかったため、67年(慶応3)12月藩は島を再び御用地とし、米115俵を与えることとなった。1871年(明治4)、道実島は検地のうえ地税(1歩につき米1合1勺)の納付を命じられ、翌72年道実家と汐見町との間で地子米の取決めがなされた。道実家は、江戸中期以降持ち船の破船などにより材木商が衰微し、おもに地子米などの道実島の権益によって支えられたようで、島の相続に関する遺言状が残されており、興味深い。
利用条件
 
県史収載
資料編4 P.502-503 3点、通史編4 P.428
県史以外の収載
『福井県古文書所在調査報告書』
複製本番号
C0597~C0598
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。