友田是直家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
C0070
資料群名
友田是直家文書
地域(近世,行政村,現在)
坂井郡上関村,大関村上関,坂井市坂井町上関(坂井町)
資料の年代
1688年(元禄1)~1887年(明治20)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
上関村は北陸道添いの村で、元禄期ころまで島田村とよばれた。村高は正保郷帳では1555石余。はじめ福井藩領、1686年(貞享3)幕府領、97年(元禄10)葛野藩領、1705年(宝永2)幕府領、1820年(文政2)再び福井藩領となる。友田家は通称を伊右衛門といい、庄屋や大庄屋を務めた。否撮資料カードに、1859年(安政6)の大庄屋役任命書があるが、57年に大庄屋となっている(大連彦兵衛家文書)。
資料群の概要
約100点の文書を調査し、うち24点を撮影した。1688年(元禄1)の「永代帳之写」を初出とするが、文化期以降、とくに幕末期の資料が多い。当家文書には、福井藩大庄屋役にかかわる組内の村々の用水争論などに関するもの、吉田郡幾久村三昧の貸駕籠をめぐる福井城下松本町組・室町組と幾久村の争論に関するもの、幕末期の福井藩調達金、同藩の第一次長州出兵、水戸浪士に関するものなどがある。
なかでも、長州出兵関連資料のうち夫人足割賦に関するものからは、人足の出し方や各村ごとの割賦の状況を知ることができ、さらに人足の選定やその手当をめぐる村内の対立の様子をみることができる。
なお、貸駕籠一件については、1859年(安政6)当家の友田伊右衛門は、坂井郡下兵庫村の野村源五郎とともに幾久方の扱人となっている。資料によると、城下松本・室町両組の三昧葬式場(福居惣三昧とよばれる)は、勝山街道添いの平岡山にあったが、1682年(天和2)松岡藩主在城中の道筋にあたるため幾久村に移転させられた。この争論には、坂井郡清王村の真宗大谷派照厳寺(もと幾久村にあった)も関係している。関連資料が小沢元滋家文書にある。
否撮文書には天保期以降の借用証文、幕末期の福井藩御用金・調達金関連、趣法講関連などがある。
利用条件
 
県史収載
資料編4 P.970-987 2点、通史編4 P.914
県史以外の収載
 
複製本番号
C0542
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。